聖×初夏

クロスオーバー3

「ふぅ……」

 現在時間は流れてお昼時。
 本日何度目かの深い深いため息を、聖は誰もいない謳歌学園生徒会室で盛大に吐き出すことができ、一息ついていた。生徒会長という職権の乱用かもしれないが、この場所以上に今の時間一人になれる場所はない。
 自分から進んでなったわけではない職務ではあるが、ならばこそ最大限利用させてもらおうと、教室においてあるような安物の椅子とは雲泥の差ともいえる柔らかな椅子に腰を沈める。
 本当ならばこの時間すらもその職務ゆえに転入生日下部初夏のために時間を使い、彼女とともに行動しなければいけないと思っていたのだが、初夏は四時間目のチャイムが鳴るとほぼ同時に教室から出て、どこかへ向かってしまった。
 後を追おうとしたものもいたが、声をかける直前に向けられた笑顔に、誰も彼もそれ以上近づくこともできず見送るしかなかった。
 
 (でも、休み時間のたびにああも質問攻めされたらさすがに……)
 
 逃げ出したくなるのも分かる。机を囲んで人垣が形成されて、四方八方からの質問の嵐。全てに答えたわけではないだろうが、相手にしていればうんざりするレベルだろう。
 隣の席である聖にも少々飛び火しただけでも嘆息ものなのだから。
 もっとも、その代わりに毎時間初夏から謝罪の言葉をもらっていた。

 (……もしかしたら、それを避けるために?)

 そういえば、教室から出て行く初夏の背中を見送っていると、一瞬だけ振り返って目を伏せていたのを思い出す。
 何の動作かと思ったが、今思えば謝罪に見えなくもない。

 「……お昼にしよう」

 考えを放棄することにして、購入してきたパンの封を開けてかぶりつく。パンの味は小倉だ。強い甘味が口の中で広がるとジワジワと癒される感覚を覚える。
 思った以上に体が甘味を求めていたということなのだろう。裏を返せば疲労していたということなになるともいえる。

「…………ふぅ」

 思い返して、朝から今の今までの時間、聖は日下部初夏という存在にペースを乱されている。
 転入生が来たらこういうものなのだろうかと、二口目をかぶりつく。数回噛んでから、一緒に購入しておいた豆乳をチュルチュルと飲んで、もう一度息をはく。
 
 (日下部初夏……か……)
 
 朝何をしていたのか、とか、どうしてこの時期に、とか会話のカードはほかの人よりも多く持っている。持っているのに、未だにそのカードは切れないで、そのまま使えないものとして消えてしまいそうだ。
 一体何を戸惑っているのか、そもそもどうしてこんなことで迷っているのか。話さないことが自分らしいのか、こうしていることが自分らしいのか、彼女自身分からなくなってきている。
 ただなんとなく、気になってしまう。
 そのなんとなくが非常に厄介なものであるのがいただけないが。

 「…………引きこもっていても仕方がない……か」

 逃げたいのは日下部初夏であって自分ではない。
 おかしな感覚のせいで敬遠してしまいたくなる気持ちを押さえつけ、教師から言い渡された責務を全うするべく、椅子から立ち上がった。


 「とは言うものの」
 
 一応学園に在学していて長くはあるものの、転入初日の人間がどこに行くかなどと聖がいくら優秀だからといっても把握できるわけがない。
 昼休憩の時間は一時間。そのうちの半分をすでに消費してしまっているのだが、やれることは結局しらみつぶしただ一択。
 冬場ということもあって、外は除外できるので探す範囲は減っていることは幸いといえる。
 
 (食堂……なし)

 そしてもう一つの幸いとして、日下部初夏は異常に目立つことだ。あの長い髪とかもし出している雰囲気が、普通の人とは一線を画している。そのため、全校生徒が収納できると謳われている広い食堂でも、ざっと見渡す程度で確認ができる。
 時間が経っていて人が減っているからできることともいえる。
 が、残念ながら食道はハズレ。すぐに別の場所へと移動する。
 
 (ロビーは……いない……)

 今年の冬は特に冷えるために、冷暖房が完備されている室内から出てまで休憩しようとする人は少ない。廊下でも元気の良い男子生徒やトイレに向かうのであろう女子生徒と数人すれ違う程度だ。
 だが、そんな風に聖とすれ違うことになった生徒は、皆一様に聖に声をかけていった。
 望んで会長になったというわけではないし、お世辞にも彼女が愛想がいいとは言えるものはいない。だが、そんな聖なのだがその能力の高さと、どんな人が持ち込んだどんな問題でも親身になって相談し解決しようとする姿勢は、全校生徒の知るところとなっている。
 もともと必要以上に目を引く可憐さも一躍買っているといえるが、愛想のなさを補って有り余るほどの信頼を聖は意図せず得ている。
 それが多少、生徒会長としての立場と仕事に力を入れる要因になっていることは、本人は気づいていない。
 ただ、求められているのだからやらない手はないという思いだけはやたらめったら強い。
 だからこそ、声をかけられると聖は足を止めてしまう。優先すべき目的があったとしても、ついつい耳を傾けようとしてしまう。

 「「あ、十会長、こんにちは!」」
 
 聖が向かっている先の廊下から元気な声が届くと同時に、二人の同じ顔をして同じ声をした二人の女子生徒が勢いよく駆けて来た。
 
 「こんにちは、高円寺さん。挨拶はいいですが、廊下はできるだけ走らないようにしてください」
 「「う、ご、ごめんなさい……」」
 
 しょぼくれて謝罪する動作も声も、見事にそろっている。示し合わせていないだろう二人の素の行動に多少の感心を覚えながら、聖は淡々と次の言葉をつむぐ。
 
 「それで、高円寺理兎さん、美羽さん。何かありました?」
 
 この二人は今学期の新入生として入学してきたのだが、校門に立って作業をしていた聖を見て心底ほれ込んでしまったという。
 それ以降、二人はことあるごとに聖に突撃してきているのだが、ほかの生徒たちと扱いが違うということは見られなかった。
 それにもめげていないのか、気にしていないのか、高円寺姉妹も変わらない態度のまま接している。

 「あ、それなんですけど会長!」
 「探していたんですよ!」
 「私を?」
 「「はい! 一緒にご飯を食べませんか!!」」

 清清しいほどの元気と笑顔での申し出なのだが、二人そろって声をはもって上げられると、風を叩きつけるような勢いに聖は少しだけ押されてしまう。
 
 「ごめんなさい。もう食事は済ませてしまったんです」
 「「あう!」」
 「申し出は、嬉しいですが」
 「「じゃ、じゃあ! お話しましょう! そうしましょう!」」

 今こうして食事に誘ってくれるということは、二人はいままでずっと聖を探していたということになる。そう考えると申し訳なさが込みあがってくるが、今は優先したいことがある。
 愛想は悪いが、義理や人情にはそれなりに厚い聖の罪悪感が鎌首をもたげるが、甘んじて受止めて、改めて二人に謝罪した。
 
 「ごめんなさい。今、人を探しているんです」
 「「人?」」
 「……っ!?」
 
 目を伏せながらそういった瞬間、二人の声のトーンがあからさまに変質した。
 今まで聖が聞いたことのない声に咄嗟に目を開けるが、二人の表情はいつもと変わらない笑顔だった。

 「「会長?」」
 「え、えぇ……そう、人を探しているんです。だから、今は……」
 「それじゃあ仕方がないですねー」
 「あ、わたしたちも一緒に探せばいいんじゃないかな?」
 「でも、あなたたちは食事を済ませていないんでしょう?」
 「「あ、そっか」」
 
 心底残念そうな顔をする二人には先ほどの声をイメージさせるほうが難しく、聞き間違いだったのかと思わされてしまう。

 (でも……あれは……)

 今まで彼女たちからは聞いた事のない声でも、彼女たち以外からならば、耳に覚えが聖にはあって、気にしないでおくことができそうにない。
 
 「「それじゃあ会長、また今度ー!」」
 
 そんな聖の思いも知らずに、来たときと同じような勢いで、高円寺姉妹は聖の前から足早に駆けて行った。
 
 (あの二人が、あれを……? でもそんな感じは……)

 おかしな様子は見せたが、おかしな感覚はしなかった。とすれば、やはり自分の勘違いということなのだろうと今はそれで無理やりに結論付けた。
 時間は有限だ。今のやりとりで残りは十五分程度しか残っていない。これでは目的の初夏を見つけたとしても特に何かすることはできそうもない。

 (見つけてどうするということもないが――っ)

 世の中偶然というものは結構な確率で起こるものである。
 その時点で既に偶然ではないかもしれないが、その定義を決めるのは結局は偶然に遭遇した人間だ。
 聖は今、その偶然に感謝していた。
 同時に、自分の目を疑った。
 何の気なしに窓の外へと向けた先……中庭の木陰に、目的の人物である日下部初夏はいた。
 木枯らしが吹きすさぶ見るからに寒いであろう屋外に、彼女はいた。

 「…………」

 いかに聖の他人への反応が薄いからといって、感覚が麻痺しているわけでもなければ、その体は冷のを天敵する女性のものだ。
 それ以前に人として屋外の極寒の世界へと行きたいと思うものなどいないだろう。

 (あぁ……目の前にいた……)

 思い切りげんなりしながら、間違いなく今日一番の盛大なため息をついた。


 

 「こんな寒空の下で、さらに日陰に入って……一体何を考えているんですか、あなたは」

 間違いなくいつもよりも険のある声だった。ようやく見つけたということもあるが、なんといってもこの寒さである。
 立っているだけで鳥肌が面白いように立ち、風が吹けばそれだけで肌が切り裂かれてしまうような居心地だ。
 そんな中に、防寒用のコートもなければマフラーもなく、手袋も着用していない聖は、目的さえなければすぐにでもこの場からいなくなりたい衝動に駆られていた。
 しかし、対照的に初夏はといえば、まさに涼しい顔をして朝から変わることのない微笑を浮かべている。

 「よく言うでしょう? 北国育ちは美人が多い、と」
 「はぁ」
 「寒さで肌が引き締まるから、という説があるわ」
 「そんな理由でわざわざここに?」
 「そういえば十さんはどうしてここに?」

 取り付く島もないとはこのことだろうか。少々睨みを利かせてみるが、表情はまるで変わらず小首を傾げる始末だ。

 (……やりづらい)

 率直な感想だった。
 彼女の周りにいる人間は、少なくとも質疑応答はストレートだ。生徒会長という立場がそうさせている部分もあるだろうが、このようにいきなり会話を変えるような人間は少ない。あったとしても、それは嘘やごまかしたいことを抱えているやましいことがある場合程度。
 ならば初夏もそれに当てはまるのかと表情を見てみるが読み取ることはできそうにない。

 「私は、あなたを探していました。なのでここにいます」
 「そう。お手数かけるわね」
 「…………」

 まったく持ってそのとおり、と返答したくなったが必死に押さえ込んだ。

 「冬服とはいえ、寒くはないのかしら?」
 「できることならすぐにでも校舎内に戻りたいです」
 「そう」

 会話が止まった。
 何か話さなければと思うものの、初夏の考えがまるで読めずに思考がまとまらない。それでなくても寒く、気を抜いたら震えてしまいそうだというのに。

 「あなたは寒くないんですか?」
 「どうかしら」
 「……はぐらかす必要性が見当たりませんが」
 「そうかもしれないわね。じゃあ、寒い」
 「え?」
 「こともないかもしれないわね」
 「……からかってますか?」
 「えぇ、割と」

 聖は絶句した。さすがに正面切ってそんなことを言われたことは彼女の経験上一度としてない。時折、生徒会メンバーからからかわれたりすることがあるが、慣れ親しんだ仕事仲間のコミュニケーションの一つで、可愛いものだ。
 しかし初夏のそれは、初対面でやるものではないはずだ。
 聖の中で意味も分からずくすぶっていた感情が、とたんに明瞭になった。
 苦手意識とともに現れたそれは、分かりやすいほどの怒りとなっていた。

 「……楽しいですか?」
 「ところで――」

 だが、その怒りはいきなりの話題の転換によってすぐさま霧散させられてしまった。出鼻をくじかれたときの怒りほど、矛先が分からないものがない。
 聖は苦虫を噛み潰したときのよう表情をした。

 「……なんですか?」

 最初よりも険のある表情をしながら促してみる。

 「あなたは、女性同士の恋愛ってどう思う?」
 「は?」

 意味不明な質問に、思わず目を見開いて少々間抜けな顔をしてしまった。それに気づくこともできずに、聖は初夏の目を見ながら何度も瞬きを繰り返す。

 「だから、女性同士の恋愛について、あなたの意見を聞かせてほしいの」
 「えっと……」

 意図が読めない。もはや何もかもが意味不明すぎて、簡単な思考すら放棄しそうになっていた。もちろんそこまで行く前に踏みとどまって、初夏の言っている事を理解しようとするが、混乱が混乱を呼んでなかなかうまくまとまらないでいた。

 (どうしてこう、この人は……まぁ……今は女性同士の恋愛について……を先にしよう……)

 無理やり深呼吸をして冷たい空気を入れることによって、頭をはっきりとさせる。鳥肌が絶えない環境であることが、その瞬間だけは役に立っていた。

 「世間一般の見解からすれば、それはただの異端だと思いますが……」
 「ますが?」
 「…………私は、恋愛等の経験はありませんから。そのことについてとやかく言える資格はないと思っています」
 「つまり?」
 「………………つまりもなにも……まるで理解していないと言うことなので、答えようがありません」
 
 人と会話することは苦手と言うほどではない。が、深い付き合いともなると話は変わってくるし、こと恋愛ともなれば意識さえしたことがない。言ったとおり、確かに異端であるとは思うが、実際にそのようなことがあったからといって、聖としては特に何かをするということは考えられなかった。
 
 「そう……では試してみましょうか?」
 「え?」

 何を言ったのか理解できなかった。理解したくなかったのかもしれないが、とにかく聖は一瞬思考に空白を作ってしまった。
 その間に、初夏はいつの間にか立ち上がっており、聖の肩を抱き頬に手を添えていた。

 「え、ちょ、ちょっと日下部さん……?」

 すぐさま正体を取り戻したものの、意味がまるで分からず戸惑うことしかできない。結果抵抗らしい抵抗もなく初夏に抱き寄せられる形となった。

 (あ、れ……でも……なんだろう…………この人……すごく温かい……)

 この極寒の中で感じられた人肌は、信じられないほどに甘美なものが含まれていた。寒さで唇が色を失っているくらいだったというのに、初夏に抱き寄せられた瞬間体中が弛緩しそうなほどの暖が生まれた。
 鳥肌が立っていた腕はもとの綺麗な肌を取り戻し、冷たさで参っていた瞳は暖を覚えることで急速に潤っていく。
 思考さえも落ち着いていく。

 「こういうのも、悪くはないと思わないかしら?」
 「…………ぁ……えっと」

 軽くもって行かれそうになっていた意識が初夏の声によって戻ってくる。どうやら少しだけ心地よさにトリップしてしまっていたらしく、気がつけば初夏の体に身を少し摺り寄せていた。
 身長が同じくらいなのでうずもれることはなかったが、聖の小さいわけではない胸と初夏の豊満な胸が押しつぶしあうくらいには密着している。
 
 「ふふ……少し、からかいすぎたみたいね」
 「え、えっと……」
 「あなたが寒そうにしていたから、少しでも私の熱を分けられればと思って、ね」
 「は、はぁ……ありがとう、ございます」

 お礼よりも文句を叩きつけてもいい場面だとは思うが、今の彼女にそれを要求するのはかなり酷といえよう。思考をかき乱されて、意識が熱でふわふわとしているのだから。

 「あ、あの、日下部さん」

 それでも疑問を解消しようと声を投げかけることができたのは、ひとえに彼女のまじめさ故とも言える。そこに義務も何もありはしないのだが。

 「どうして、突然あんな質問を?」
 「…………そう、ね……理解をしていない、ということだから一応一つ。女同士の恋愛は異端に見えるものだけれど、結局は恋愛。想いはとても尊いものだけれど、その反面、それはどこまでも深い闇にもなり得るわ」
 「深い……闇?」
 「そう。それだけでも理解しておけば、存外答えは早いかもしれないわ」
 「は、はぁ」

 はっきりしない返事だったが、結局それが限界だった。
 言いたいことはなんとなく分かるが、要領を得ていない。だからとして何がどうつながっているか皆目検討も付けられない。
 近すぎる初夏の顔を見てみるが……必要以上に綺麗な顔だと言うこと以外、何も分からなかった。

 「さて、教室に戻りましょう。もうすぐ昼休憩も終わってしまうから」
 「ぁ……」

 初夏の体が離れるということは、心地よい熱が離れてしまうと言うことだ。それに名残惜しさを覚えてしまった聖は思わず声を漏らしてしまう。
 ハッとして口を押さえ、初夏に視線を向けると、そこには全て分かっているかのようにさえ見える表情の初夏があり、目が合ってしまう。

 「ぅ……く……」

 恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じて、今度は両頬を手で包み隠す。
 そのしぐさが初夏にとってはほほえましいものだったのか、優しくクスリと笑うのだが、聖にとっては一生ものと言ってもいいほどに恥ずかしいことだった。








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クロスオーバー2

 朝の出会いはこれまでの人生の中でもそれなりに衝撃の出来事であったといえる。が、そうであったからといってその後の出来事に何かしらの変化が起こるといわれれば、そんなこともない。
 時間が来れば朝日はのぼり、さらに進めば生徒がいつものとおりに登校してくる。
 そうして始まるいつもと同じ日。誰も彼もがそれに疑問を持たずに当たり前にやってくる毎日を、あるいは期待をこめて、あるいは気だるそうに、あるいは意味もなく享受する。
 変化のない毎日には刺激はない。
 だが、刺激がないということは少なくとも平和なのだ。誰も好き好んで平和を乱したいなどと思う人はいないはずだ。
 喧騒に包まれている授業の始まるまでのほんの少し前の、にぎやかでやかましい教室に、窓際最後尾の席から聖は視線だけ向けて見渡した。
 楽しそうに先日のテレビなどの話題をする人。宿題を忘れて必死に友人のノートを写している人。一人本を読んでいる人。
 いつもと同じ光景だ。異変となんて程遠い、平和そのものといえる。

 (何を考えているんだか)

 どうにも今日の朝からおかしな思考をしてしまうと、軽く頭を振ってそれを振り払う。
 気を取り直して一時間目の授業準備を始めようとしたとき、教室の扉が開いたきりそのままで初老の教師が入ってきた。HRの時間まではまだ少しあるというのに今日は少しだけ早い。それでなくてもこの教師は少し時間にルーズな部分があるために聖だけでなく教室内にいる生徒の半分以上が驚きを隠せないでいた。
 そんな状態になったものの教師の一声で席についていなかった生徒は席に着く。いつもはこの教師が声をかけたからといって全員がすぐに行動に移すわけではない。数人はやはり聞き分けのないものがいたりするものなのだが、今日に至っては全ての生徒が席に着き教師の様子を伺っていた。

 「みんな、いますね……では、ほら……入ってきなさい」

 特に点呼を取ることもなく目視で確認しただけで記帳に記載すると、締められていない扉に向かって声をかけた。

 「え……?」

 聖の声にあわせるように教室内が騒然とした。
 予兆がなかったから。聞いていなかったから。
 なんにしても、唐突に扉から現れた人物に誰もが驚きを隠せないでいた。聖もその中の一人で、眼鏡の奥にある凛とした瞳が、驚きに見開かれている。おそらくはかなり稀な状態なのだろうが、誰も彼も今聖に視線を向けているものはいない。
 ゆったりと、それでいて堂々と。
 優雅という感じはない。だというのにただ歩くという動作一つで、皆一様に釘付けにしながら、長い黒髪をなびかせながら女性が教壇の横に立ち、生徒たちへと顔を向ける。
 その瞬間、静かだった教室が一気に湧き上がった。
 主に男子が歓声を上げたりしているのだが、女子は女子で感嘆の声を出し、どこか惚けた感じになっている。
 ただ一人、聖だけが驚きのままに女性に視線を向けていた。
 膝下まで伸びているのにもかかわらず、陽光を受け艶やかに輝く髪。白磁のように白く透き通った肌。憂いを帯びた瞳に瑞々しく潤う唇は男子だけではなく女子までも魅了してしてしまいそうな淫靡さが見え隠れする。
 制服を押し上げてははち切れんばかりに膨らんでいる双丘。引き締まったウェスト。程よい肉に包まれた脚線美は生唾物であろう。
 欲望丸出しの視線も間違いなく混ざっている中、まるで気にした様子も見せずに、女性は教師に促されるまま黒板に自分の名前を書いていく。

 「日下部 初夏(くさかべ はつか)、です。こんな時期での転入なのですが、よろしくお願いします」

 騒音に満ちている中で、それほど声を張ったようにも見えないのだが女性、日下部 初夏の声は、最後尾に位置する聖の耳に確かに届いた。
 転校や転入などという出来事は、長いようで短い学生生活の中で一度遭遇できればいいくらいのものだろう、ともすれば日下部初夏の言葉は刻み込まれたのではというほどに聖の耳に残っていた。

 その後、予定調和といわんばかりに日下部初夏は聖の隣の席となった。定番では確かに一番後ろの席となるわけだが、今回は聖のステータスが原因となったとも言える。
 まだ転入したての初夏は教科書等を持ち合わせていないため、必然的に聖と席を密着させての授業となる。これが中等部であれば自己紹介で一時間使っていたかもしれないが、生憎聖たちは高等部。将来のためを思えば、少しでも勉強に時間を費やしたいと思う人間は少なくないはず。

 「…………」
 「…………」

 ノートにペンを走らせる音が嫌に大きく聞こえる。それだけ集中しているかといえば、そうではなく、聖は無言で作業をする初夏の横顔をちらちらと何度も見直していた。
 理由としてはやはり、外見的特長も、声も、今日の朝に見て聞いたものに限りなく酷似していると思うところにある。あるのだが、それを聞いてどうしようというのだろうか。何も思いつかないでいる。

 (朝会った、としてそれが一体何に?)

 会話らしい会話をしてないどころか、聖としては追い出そうとさえしていたくらいだ。学園関係者からすれば当然の反応だろうが、印象はいいとは思えない。
 しかし、本当に仲良くなりたいかといえば、仲が悪くなるよりはなったほうがいいとは思うが、必要以上に親しくなる必要性は感じていない。
 最初に席を密着させるときに会話のチャンスといえばチャンスだったのだが、初夏自身必要最低限の挨拶しかしてこなかったために聖としてもそのまま返し、それで終わっている。

 (……まぁ仕方ないわね)

 基本的にポーカーフェイスで、感情もほとんど表に出すことはない。面白みのない人間だとは自身で思っているところである。ならば初対面の人間がそう思うのも仕方のないことだとして、頭を切り替えようとする。

 「っ!?」

 その前にもう一度だけと視線を向けると、今までノートと黒板以外に視線を向けることのなかった初夏が聖の方をじっと見つめていた。聖が顔を向けてくるのを待っていたのか、お互いの目が合うと、初夏はその憂いを帯びた瞳を少しだけ緩めながら口を開いた。

 「どうかした?」

 透き通るような声はそのままで、しかし先ほどとは打って変わっての優しい声。動揺に高鳴っていた胸が、それだけで静まり始めてしまっている。

 (なんで、だろう……)

 初対面で愛想のいい挨拶一つ向けず、それどころかしつこいくらいに視線を送っていた。そんな相手に対してどうして初夏はこんな表情でこんな優しい声を出せるのかが心底疑問だった。

 「十さん?」
 「あ、あぁ……すみません。授業、大丈夫ですか?」

 その言葉が予想外だったのか、一瞬だけ驚きを見せて、しかしすぐにもとの表情に戻りながら頷いた。

 「前の学校とそれほど違わないから、大丈夫。ありがとう」
 「いえ……」

 会話はそれで終了した。
 他人との会話が好きというわけではないが苦手というわけではない。続けようと思えばまだまだ続けられる。授業中ということを考慮しても話題を作ることくらいはわけはないのだが。

 (……なに、この感覚?)

 普通に話しかけたり話しかけられたりするクラスメートと同じようにするだけのはずだ、隣の転入生にそうしようとすると、なぜか胸の辺りがざわざわとする。
 今までに体験したことのないような感覚が走り抜けて、どうにも思考を初めに何もかもが落ち着かなくなる。
 だからといってその感覚に嫌悪感を覚えるかといえば、その逆だ。

 (どうしてだろう?)

 結局、頭ではやめないとと思っていながらも、無意識に向けてしまう視線をとめることができず、授業終了まで数回視線が交わった。





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『クロスオーバー1へ』

クロスオーバー1

 彼女、十聖(となし ひじり)の朝は早い。
 別段そこまで早く起きる必要などないと思われる生活なのだが、それでも早く起きるのは彼女の性格ゆえなのだろう。
 そうして早起きしてやることといえば、まずは身だしなみを整えること。顔を洗い、歯を磨き、着替えを済まし、眼鏡を装着。視界がクリアになったところで髪を三つ編みして整え、鏡に映った自分を直視できるレベルになって、そこから朝食の準備に取り掛かる。化粧等はしない。嫌いだからという理由が大半を占めてはいるだけでそれ以外の理由はほとんどないといえる。着飾る趣味がないといえばそれもあるのだろうが、年頃の娘としては少々枯れた部分ではあるかもしれない。
 もっとも、化粧など必要としない外見であることは自分以外は認知しているところである。
 緑の黒髪という表現がそのまま当てはまるほどに美しい髪。絹のように肌理細やかな肌は瑞々しく、均衡の取れたプロポーションは女性であれば誰もがうらやむものであろう。
 事実、彼女が歩けばすれ違う人は誰もが一様に振り返る。
 もはや歩くプラスステータスの塊のような存在であるが、本人はそれを有効活用するどころか、自覚しているかすら危ういところである。
 さて、完璧主義者である聖は、早朝五時だからといって朝食の準備に手を抜くなどということはしない。が、朝からそれほどお腹に入れられるほど強靭な胃袋を持ち合わせていないために、結局は簡素なミルクとパンに野菜を少々といったところとなる。
 数十分かけて食べ終わり、食器をすぐさま洗い、そのまま再び歯を磨く。
 時間はそろそろ六時になろうとしているが、真冬の今日という日は未だに朝日は顔を出していない。掃除でもできればいいのだが、早朝すぎるために選択肢から排除。
 だとしてやることといえば、誰よりも早く学園へ行くということだ。
 この時間帯に出て行けば人はほとんどいないからという理由からの行動である。
 別段人間嫌いというわけではないが、人ごみが好きではない。普通の登校時間に合わせて行動していれば、当然校庭から廊下から教室から行動するのに支障がでてしまうこともある。そうなってしまえば嫌でも人にもまれることになる。それだけは避けたいと思うのならこの時間帯に起きるのは当然のことになる。もっとも、既に日課になっているこの生活を苦痛だなどと思うことなどなかった。

 朝起きて、学園へ行き、帰宅し眠る。
 時折、この枠組みから外れたことをしなければいけないときもあるが、それはそれでまた一つの枠の内のこと。
 そんな毎日が続くことに疑問を持つこともなく、そして大きな期待もしていなかった。
 誰もいない道を歩く。呼吸をするたびに白い息が生まれては余韻も残さずに消えていく。未だ朝日は昇っておらず、人のとおりなどまるでない。朝を告げる鳥さえも目覚めていない。

 「……ふぅ」

 足を止めて一つため息をついた。
 理由は特にない。ただ、なんとなくついた。
 変わらない毎日がやってきてそれをただ繰り返す。それを不満に思ったことはない。やれることをやろうとしているし、やりたいこともそれなりにやっている。
 不満などあろうはずがない。
 とめていた足を再び動かして、薄暗いながらも先に見えてきた学園を見上げる。
 相変わらず、その姿は実に仰々しい。
 人をその中に収めるためにある建物の癖に、どこか人を拒んでいるようにさえ見るのは、いささか斜に構えすぎだろうか。
 自らのものと主張するように立ち並ぶ、聖の頭一つ上の高さにある塀を一瞥して少し進むと、入り口である校門に到着する。当然のごとく厳かな門は閉められていた。

 (まずは用務員室に行って挨拶を)

 が、聖はまったく気にすることなく、門の横に備え付けられたもう一つの扉をあける。その扉の少し上には、『私立謳歌学園』の文字。
 見慣れた名前を改めて確認して、門をくぐった。
 門から校舎までは大きな道が一直線に通じている。日が昇り、それからもう少し時間が経てば、その道は生徒で溢れるのだが、今は聖一人だけ。
 大きな門と塀に囲まれた閉鎖されたような空間は、世界にたった一人取り残されたような錯覚を受ける。

 (大げさ、か)

 少しずつ青を取り戻してきた空を仰ぎながら、そんなことを考えたこと自体がどこか自分ですら意外で、自然と笑みがこぼれた。
 気を取り直して息を軽く吐き出す。何はともあれまずは日課である。
 頬にかかった髪を軽くはらい、止めていた足を踏み出そうとして、止めた。

 「え……?」

 思わず声が出ていた。それほどま意外な出来事だったのだ。
 この時間、この場所で、誰かの姿を見るということが。
 聖のほんの数メートル前に女性が立っていた。何をしているというのでもなく、強いて言うのなら校舎を見上げているのだろう。長い長い髪を風に遊ばせながら見上げるように首をかしげている。

 (学園の……生徒……?)

 記憶をたどってみるが、これほど長い髪の生徒には心当たりがない。さすがに全員を覚えているわけではないが、特徴的過ぎる長い髪が噂にならないとは思えない。となれば、部外者か聖の知らない学園関係者か。
 どちらにしても、声をかけないわけにもいかないと、短くため息をついて、女性へと近づいた。

 「おはようございます」
 「……?」

 無難に朝の挨拶を女性の背中へと投げかける。さして驚いた様子もなく女性はゆっくりと聖へと振り返る。暗いながらにも見えた顔立ちは、とても整ったものだった。
 
 (綺麗……だなぁ)

 憂いを帯びているように見える目元、かすかな明かりに輝く唇。たったそれだけを見るだけでもそんな風に思えてしまう。
 美人、というのはこういう人のことを言うのだな、と自分のことに疎い聖は声をかけた目的を一瞬忘れてそんな感想を持つ。
 すぐさま我を取り戻して、軽く頭を振って気を取り直す。

 「失礼ですが、学園の関係者……ではないですよね?」

 女性が身に付けているのは制服なのは間違いない。だが、ここ私立謳歌学園のものとは似ても似つかないデザインをしている。この時点で申し開きはしようがないはずなのだが、女性はその質問に応えることもなく、再び聖から視線をはずして校舎に向けた。
 思わず聖はため息をつきたくなった。もちろん抑えもう一度声をかけた。

 「何か御用があるんですか?」

 できるだけ義務的に抑揚なく声を出したが、それにも反応せずに女性は一心に校舎を見上げている。
 暗くてそんなに見えもしないはずなのに、それほどものめずらしいものでもないはずなのに、何が楽しいのか女性はただただ見上げている。

 (校舎に、何かあるとは思えないけど)

 そう思いながら、ついつい見上げてしまうのは人の性というものだろう。だが、見上げたところで聖には特別何かを感じることはなかった。
 謳歌学園の校舎など、いつも見ているしそれが変化することはない。

 「……学校、学園」
 「え?」
 「嫌いじゃないの」

 何を言っているのか一瞬理解できずに女性の顔に視線を向けると、初めてそこで視線が交わった。
 そして、女性は少しだけ笑うと、きびすを返して歩き出した。

 「ぁ……」

 何かを言うべきなのだろうかと考えたものの、女性の言葉に何を返すべきなのかまるで思い浮かばず、結局、黙って背中を見送っていた。


 
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