うちには、4匹の、血のつながった兄妹猫がいます。ただ、この子達、本来は7匹兄妹でした。
兄妹のうち、3匹が、遠方にもらわれていっています。
先日、貰われて行った子が亡くなった、という知らせのメールを、里親さんから受けました。
亡くなったという知らせは悲しいけれど、それ以上に、あの子達が幸せな気持ちを抱いたまま、この世を去ったことが確信できるような、そんなメールで、悲しさよりも、暖かな気持ちがあります。

ここまでは前置きです。
前置きが長くなりましたが。


死は、悲しいものです。
遺されたものにとっては、つらくたまらないものです。

だけど、その最期が幸せなものであったのなら、死んでいく側にとって、死は悲しくつらいだけのものではなく、死は「自分自身が幸福であったということを決定づける瞬間」なんじゃないでしょうか?


私は死んでいく。
私の死を貴男は悲しむかもしれない。
だけど、私は幸せだった。

その命が、幸せな気持ちで終わるのならば、死は、優しく幸せなものなのではないか。


言語化がすごく難しいんで、うまく伝えられている自信はありませんが…。


あの子は死んだ。
死んだことは、遺された私は、悲しんでる。
だけど、あの子の死は、あの子が「幸せに生きた」ということが決定されたということでもある。
これからなにかあの子は悲しんだり辛くなったりしない。
死んでしまった以上、これ以上なにもない、「幸せだった」という事実はもはや揺らぐことはない。

それは、死んでいくものには幸福なことなんじゃないだろうか。


去年、私は娘同然の猫を亡くしました。
私には子供がいないから、猫は実の子供のような存在です。

その時にすごく感じたことでもあります。
悲しんでるのは遺された者だけで、死んでいったこの子は、ただただ、幸せを決定されたのだと思った。


繰り返しますが、うまく言語化出来てるとは思わないです…ほんと滅茶苦茶なこと言ってるとは思う。


なんでこれをこのブログに書いたのかというと、
私はそんな物語を描きたかったんだ、ってのを、再確認したからです。

怪我ちゃんを、ハッピーエンドの物語だと繰り返すのは、それが理由です。


そんなはなしをまた描いていきたいなぁ。
死は不幸なだけじゃないって伝えたいし…。


あっべつに私が死にそうなんでこーゆーこと言ってるわけじゃないですw
お薬の調整がうまく行って、病状が少し安定したので、死なないで済みそうではあります。
…いや一時ほんとに覚悟したんだけどね…、死は不幸ではなくとも、でももう何も作れなくなるのは心残りだから…生き続けられるなら、今後も何かを作り続けられるのかな、と思ったら、嬉しいです。


もらわれていった猫も、昨年亡くした猫も、幸せな生涯だったんだ。
それが嬉しいんだ。
もっと生きててくれたらそりゃ嬉しいし、もっと一緒にいたかったけど、でも、あの子達の生涯が、幸せに終わった、ということは、悲しまずに、すなおに喜ぶべきことなんだと思います。


だから怪我ちゃんもハッピーエンドなんだよ。
貰われて行ったあの子も、うちの娘も、死んだ。ハッピーエンドのまま死んだ。それは幸せなことなんだよ。


私は、人の心にトゲを残したい。
ずっと、誰かの心のどこかに残り続けるような、そんな話を書きたかった。

怪我ちゃんが誰かのトゲになったなら、それ以上に幸せなことはないんですがね。


ごめんまとまりがない記事だね。


そろそろ病状回復してきて、少し絵が描けるようになってきたので、また作業再開できたら更新しますね。
またね。