こんばんは
コメントでリクエストをいただきましたので、
前回言ってたことを説明します。
M創作の肝みたいな・・・
お鍋を食べてくるしくてあまり頭まわってないですが!
適当な感じで書きます。
(以下あまり創作論とか見たくない人は見ないでくださいな)
=====================
まず、M創作を責められる男のタイプによって二つに分けます。
男の娘とかしょたみたいなかわいいのが責められるやつをかわいいM創作、
成人男性が責められるやつをおじさんM創作と呼ぶことにしましょう!
かわいいM創作ってのは見ることで興奮するものです。
眺めるもの、例えば百合ものなどと同じです。
主観的な視点で描くこともありますが、基本的には客観視点といっていいでしょう。
(面白い例外があるのですがそれはまた来週書きます)
ではおじさんM創作はどう描くべきなのか。
この流れでいくと主観的に描いたらいいのではということになります。
実際そのようなことはこれまでも書いてきたような気がします。
しかし、ここが非常に大事なところだったのですよね。
M性とは自意識であり、主観的な感覚であるということ。
このこととM創作の関係をさらに説明するために刈屋の過去作を見直していきたいのですが、
その前に一つだけ言いたいことがあります。
それは、私自身とても、客観視点でお話を考えるのが得意なタイプということです。
例えば百合妄想なら余裕で無限にできますが、M妄想となると俄然ハードルが上がります。
もっと言うと、主観的でもMの逆、つまり責めるほうの妄想なら簡単なのです。
欲望のままですから。
Mという受け身でありながら妄想を広げるというのはなかなか難しいです。
そもそも私はガチM、普段からついM妄想しちゃうとかそういう人ではまったくないです。
しかしながら、自分の分かるもの、好きなものを描こうとするタイプでもないです。
むしろよく分からないものを「こういうのがいいんだろか」と
描くことで理解しようとするタイプです。
百合を描きだしたのもそんなふうでした。
好きだから描くというよりは、描くことで理解しようとして好きになるって感じですかね。
なので「M創作の良さとはなんぞや」ということをずっと考えてきました。
これまでにこれはすごい!エロい!抜ける!っていうM創作にも出会ってはきたのですが、
良さの本質は何なのか?みたいな部分がこれまではよく分かってなかったのです。
それで今の結論が、上で描いたことになります。
M性とは自意識であり、主観的な感覚であるということ。
一見どうってことはない結論ですが、
そんなことも分かってなかったってことが、私がいかににわかMだったかという・・・
あとこれがエゴマゾ寄りの見方ということが、私にとって盲点だった原因だと思います。
とにかくそのことと、どう作品にするのか?という部分を
これまでの刈屋M創作の問題点を挙げたりしつつ書いていきたいのですが、
ちょっと長くなったので来週にしましょうかね・・・(引き延ばす)
<予告>
気弱なおじさま、管理屋さん、男性レンタル、ヤバい彼女について
バブみとM性、おじさんがバブる作品の難しさについて
男の娘ものをM創作として描くことについて
コメントでリクエストをいただきましたので、
前回言ってたことを説明します。
M創作の肝みたいな・・・
お鍋を食べてくるしくてあまり頭まわってないですが!
適当な感じで書きます。
(以下あまり創作論とか見たくない人は見ないでくださいな)
=====================
まず、M創作を責められる男のタイプによって二つに分けます。
男の娘とかしょたみたいなかわいいのが責められるやつをかわいいM創作、
成人男性が責められるやつをおじさんM創作と呼ぶことにしましょう!
かわいいM創作ってのは見ることで興奮するものです。
眺めるもの、例えば百合ものなどと同じです。
主観的な視点で描くこともありますが、基本的には客観視点といっていいでしょう。
(面白い例外があるのですがそれはまた来週書きます)
ではおじさんM創作はどう描くべきなのか。
この流れでいくと主観的に描いたらいいのではということになります。
実際そのようなことはこれまでも書いてきたような気がします。
しかし、ここが非常に大事なところだったのですよね。
M性とは自意識であり、主観的な感覚であるということ。
このこととM創作の関係をさらに説明するために刈屋の過去作を見直していきたいのですが、
その前に一つだけ言いたいことがあります。
それは、私自身とても、客観視点でお話を考えるのが得意なタイプということです。
例えば百合妄想なら余裕で無限にできますが、M妄想となると俄然ハードルが上がります。
もっと言うと、主観的でもMの逆、つまり責めるほうの妄想なら簡単なのです。
欲望のままですから。
Mという受け身でありながら妄想を広げるというのはなかなか難しいです。
そもそも私はガチM、普段からついM妄想しちゃうとかそういう人ではまったくないです。
しかしながら、自分の分かるもの、好きなものを描こうとするタイプでもないです。
むしろよく分からないものを「こういうのがいいんだろか」と
描くことで理解しようとするタイプです。
百合を描きだしたのもそんなふうでした。
好きだから描くというよりは、描くことで理解しようとして好きになるって感じですかね。
なので「M創作の良さとはなんぞや」ということをずっと考えてきました。
これまでにこれはすごい!エロい!抜ける!っていうM創作にも出会ってはきたのですが、
良さの本質は何なのか?みたいな部分がこれまではよく分かってなかったのです。
それで今の結論が、上で描いたことになります。
M性とは自意識であり、主観的な感覚であるということ。
一見どうってことはない結論ですが、
そんなことも分かってなかったってことが、私がいかににわかMだったかという・・・
あとこれがエゴマゾ寄りの見方ということが、私にとって盲点だった原因だと思います。
とにかくそのことと、どう作品にするのか?という部分を
これまでの刈屋M創作の問題点を挙げたりしつつ書いていきたいのですが、
ちょっと長くなったので来週にしましょうかね・・・(引き延ばす)
<予告>
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バブみとM性、おじさんがバブる作品の難しさについて
男の娘ものをM創作として描くことについて