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上野千鶴子祝辞について考える

日本のフェミニストを代表する、上野千鶴子が東大入学式の祝辞に招かれ、そこで行ったスピーチが話題に上っている。

その内容は各種ネットニュースに取り上げられ、ツイッターでも多くの人の目に触れた(だからこそ自分も見たのだが)。いくら東大とはいえ、一大学の入学式における複数名によるスピーチ群の中の一人、それも一活動家にすぎない人物の演説内容としては、いささか異例の扱いだ。

この祝辞に対しては、ツイッターで「東大入学式」で検索して当日の様子を俯瞰するに、どうも現場にいた学生からは一様に反発の声があがっていたようだ。それはまさしく「炎上」と言ってもよい反応であった。
だが、その後祝辞の全文が公開されてからネット全体を俯瞰してみると、全く対照的に極めて賞賛の声が多い印象であった。いわゆるフェミニストではない人々からも、普段上野千鶴子に嫌悪感すら感じているという人々からも肯定意見が多く、大絶賛と言ってもいい。
中には、その場にいた学生で祝辞の内容に反発を覚えた学生を、無知、ミソジニーとレッテル貼りをして糾弾する者もいた。

しかしこの祝辞、そんなに褒められたものなのだろうか。
自分的には「こんなん読んで感動で涙するようなヤツは、エスポワールに乗せられて利根川の演説を聞いても涙するんだろうな」くらいの感想でしかないのだが、そういう反応をするヤツはみんな「ミソジニー」だの「フェミ憎しで目が曇ってる」だの散々に言われているのが現状だ。
本当にそうなのだろうか。自分なりに分析してみたい。


祝辞の前段は、概ね二種類に大別される。
「単なる事実を述べたもの」と「上野千鶴子の単なる思い込みを述べただけのもの」である。
以下にその二種類に色分けした祝辞前段を改めて掲載する。

chiduko








見ると、各段落の「結論」にあたる箇所は決まって上野千鶴子の「思い込み」によって成り立っているように見える。
ではそれぞれについて、何故そのように判断したか理由を並べよう。


最初の段落で語られているように、東京医科大の入試面接において「属性調整」と呼ばれる点数調整が行われたことは、既に報道されている通り事実である。(もっとも、減点の対象になったのは女子受験生だけでなく浪人生も含み、逆にコネで加点された者もいるそうなので、女性差別だけが目的で行われたものではないし、身体能力に劣る女性が外科医などの過酷な労働環境を避けるために、実際に医療現場において偏りが生じていることを危惧してあらかじめ女性合格者を減らすよう調整することが、私大入試において一概に女性差別であるとは断じがたいようには思うが、とりあえずここではその問題については留保する 参考:https://president.jp/articles/-/25266)
また、第二段落ではこうした差別が他の医大・医学部でも行われているであろうことを示唆しているが、実際にこれは多くの医大関係者・医学部受験者からも以前から暗に言われていたことであって、その真偽は依然不明ではあるが、特段彼女に限ってそのような主張をしているわけではない。統計的根拠からそのような差別が他の医大でも行われていることを推測するのも、特に無理のない推論ではある。
ただし、有り得べき推論であることと、事実であることとは違う。彼女の指摘は例えば東大なら理3の受験において不正が行われているという「告発」めいたものであり、これが事実だと思うなら調査をもって真偽を明らかにすべきだろうし、事実でなければ東大全体、ひいては日本の医大・医学部全体の名誉に対する毀損である。どのような意図でこの主張をしたのかそれこそ「なんらかの説明が要る」とは思う。

まして三段落目以降は、面接で属性調整を行っているとされる私立の医大・医学部受験の話ではなく、ペーパーテストのみで合否が決定される一般受験の話だ。ペーパーテストに性別を書く欄はないのだから、単に女子学生が少ないことをもって受験で性差別が行われていると考えるのは明らかに拙速である。だいたい、ついさっき第二段落で「男子優位の学部、学科は他に見当たらず」という文科省の担当者の言を引用したばかりなのだから、医学部以外でそのような差別が行われていないことを逆説的に示したようなものだ。本人もそのように考えたようで、先程まで不正入試の話をしていたはずなのに、この男女比を「息子は大学まで、娘は短大まででよいと考える親の性差別の結果です。」と親の意識の問題へと無理矢理スライドしている。
しかし、それでも「この差は成績の差ではありません」は論として成り立たない。公正なペーパーテストである以上、少なくとも受験した学生の間での成績の差が結果となって男女比として現れているのはまぎれもない事実であり、それと大学を受ける受けないという親の意識とは本来なんの関係もない話である。
第一、これは全く同数の男子学生と女子学生が大学への進学を希望していることを前提に語っている。あくまで自主的な選択として、短大あるいは高卒で社会に出るか主婦になることを希望して大学受験をしなかった女子学生が、男子学生のそれより数として多ければ必然的に男女比は男子に偏るが、それは性差別とは言わない(女子学生の意識が遅れている、という主張はできるだろうが)。上野千鶴子が女子学生の自由な選択権を認めておらず、全ての女子は大学に進学せねばならないと考えていれば話は別だが、そういうことではないだろう。
「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています」と言いながら、「統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。」に至ってはもはや意味不明である。この祝辞に感銘を受けた諸兄は、もう一度落ち着いて本文を読み直してほしい。彼女が何を言ってるか本当に理解できてますか?

五段落目について、これは東大生の方々から一斉にツッコミが入った最も論旨の稚拙な箇所だ。「東大の男子は合コンでモテる」は、単に彼女にとって合コンでモテてる東大男子が目立って見えているか、彼女自身が東大男子に魅力を感じているだけで、女性が異性に求める条件は学力や学歴だけではないのだから、東大生だからといって必ずしもモテるわけでは当然ないだろう。なんの根拠もない、完全な上野千鶴子の思い込みである。そもそもその後に「東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります」と言っている内容とも矛盾していて、一体東大生を持ち上げたいのか貶めたいのか皆目見当がつかない。
「東大生は、他大生と比べてもモテない」という悲しい当事者の報告も多数あった。わかる。俺も東大生や早大生より慶應ボーイの方がモテてる気がする。いや俺の話はいい。

「男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇する」も単なる思い込みであって、男子学生も「一応、東大」と控えめに言うのが普通であって、そこに性差はないという声も多かった。いったい何を根拠にこんなことを主張したのか。結局のところ、彼女自身の「男性は高学歴の女性を嫌うので、女性にとって学歴は重荷になる」という古臭い偏見を現役の学生に押し付けただけでしかない。だいたい70のお年寄りが今の若者の合コン事情など知ってると思う方がおかしい。正直俺にもわからん。いつまでも若者に理解のある年長者ヅラをしてると老害扱いされるぞ。

「かわいい」という言葉の定義もおかしい。普通に考えて「かわいい」は単なる容姿や言動に対する評価でしかなく、「愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています」という解釈は全く彼女独自の歪んだ解釈でしかない。
たとえば一昔前には暴力系ツンデレヒロインが流行ったが、あれなんか明らかに攻撃対象たる男子を身体的に脅かす存在でありながら「かわいい」とみんな言っていた。ネコだってちょっと機嫌を損ねると引っ掻いたり噛み付いたりしてくるし、主従関係を逆転させて飼い主に思い思いの奉仕を要求してくるが、それでもみんな「かわいい」と言う。女性が男性を「かわいい」と言ったからといって、その男性に暴力を振るわれたり性的身体が脅かされたりする可能性は常にあるだろうし、男女逆にしてもそれは同じだろう。「自分を脅かさない存在だから可愛い」なんてのは明らかに認知の歪んだ解釈である。この人は、そもそも「女性は男性の存在をおびやかし得ない」と思い込んでいるからこのような発言が出るのではないだろうか?だとしたら、それ自体が明確に性差別なのだが。

六段落目について、東大の男子学生の殆どにとってはまるで無関係かつ、極めて例外的な事例である男子学生の集団暴行事件を例に挙げて「東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。」は、明らかに過度な一般化である。東大女子が一人でも犯罪者になれば「東大の女子学生が社会からどんな目で見られ」ても仕方ないのか? 
この箇所から分かるのは、単に上野千鶴子あるいは当該著作の作家が「東大の男子学生をどんな偏見で見ているか」だけだ。最悪そんな偏見を持っていること自体は自由にしても、そんなことをわざわざ入学式の祝辞の中で告げる必要性は全くない。目の前にいる新入生の八割は男子なのだ。ハラスメントと言われても文句は言えない。
彼らが上野千鶴子の無神経な発言に怒りを感じるのは当たり前である。一部の例外を持ち出して、その行為の責任を属性全体に帰責させようとする試みは、まさしく差別の典型だ。男性全般を性犯罪者予備軍として差別するフェミニスト特有の悪癖がここにきて溢れ出してしまっている。

七段落目については、たしかにそのようなサークルがあるらしいが、逆に東大女子しか入れないサークルもあると聞くので、一概に女子だけが差別されているとは言い難いだろう。逆に東大女子と他大の男子だけが入れるサークルがあったとして、それは性差別か?また単に異性を排除するにしても、たとえば異性には聞かれたくないテーマについて討論するサークルなどもあるだろうし、単に一つのサークルが異性を排除しているという理由だけで差別のレッテルを貼られるというのは明らかに行き過ぎである。むしろ女子の方が、そのような理由でしばしば女子だけのコミュニティ形成をする傾向があるようにも思える。上野千鶴子は、女子会にも男を入れろというのだろうか。
大学のサークル活動とは何の権力性もない、規模も活動趣旨も様々な、自由な趣味の同好会であって、そこに男だけ、女だけのコミュニティを作ってはいけないというルールを作ることが必ずしも適切であるようには思えない。サークルとは、そこに入らないことで何らかの社会的デメリットを受ける、というような性質のものではないからだ。
そもそも東大の男女比が極端に偏っていることは既に述べていることであって、学生が普通にサークルを作っていけば、男子ばかりのサークルが乱立するであろうことは容易に想像がつくはずである。これに対して、男女共同参画の権力を傘に平等の理念に反するなどと警告を発するというのは、あまりに学生が可哀想だ。もっと沢山の女子に来てほしいのは当の男子達であろう。そのために積極的に他大の女子を受け入れるサークルを作っているのではないか。

八、九段落目ではこれまでの内容を総括しつつ「隠れた性差別」の存在を示唆しているが、実はここまで彼女は「東大にある性差別」の存在を一つたりとも客観的に提示できていない。最初の医科大の不正入試という「事実」が、巧妙に上野千鶴子の「妄想」に接続されているだけだ。東大の学生達からしたら、ここまで何の関係もない話を延々と聞かされている。事実多くの学生はこの時点で彼女の話に対する関心を失ったようで、SNSで当日の「東大入学式」タグのツイートを追うと、あきらかにツイートの投稿頻度がここにきて激増している。
そのあとに続く、東大の研究職、教授職の男女比率にしたって、そもそもそうした職を希望する母集団に男女の偏りがあれば差別とは言い難い。何をもってそこに性差別があるとしているのか全く不明である。もしもアファーマティブアクションによってゲタを履かせて、十分な能力のない者でも要職を譲れという主張ならまだ筋は通るが、それ自体も逆差別にあたると言われて久しいし、そのようにして女性を優遇して要職に就けること自体も、ひどく女性に対して侮辱的であるようにも思う。
あるいはそのような職に就くことに価値を見出せるよう女子を奮起させ、その意識を啓蒙しようとしたのならば、性差別という言葉自体がすでに文脈において適切でない。差別というのは通常、差別「されている」とされる側に問題を帰責する性質のものではないからだ。

いずれにせよ、前段は冒頭の医科大の不正入試以外のいずれの箇所においても、上野千鶴子自身の偏見や思い込みの産物である「性差別」を前提として、目の前にいる入学生の男子たちに「お前達は女子よりゲタを履かされて入学してきたんだぞ」と、古臭いジェンダー観からくるテンプレート的な誹謗中傷を向けているようにしか読み取れない。こんなもの年寄りのセクハラ以外の何者でもないではないか。
「そのような偏見は女性も普段向けられているものであって、それこそ男性に理解してほしい」などと擁護する者もいたが、女性に偏見が向けられていることを理由に男性への偏見や差別を不問にするならば、それこそ社会全体が性差別の解消などという問題にコミットする意味は雲散霧消する。「男性だって公然と差別されているのだから、女性も差別されても仕方ない」と言われておしまいだ。差別主義者が差別解消を訴えて誰が聞くと思うのか?


後段については、これは単なる一般論である。不正入試というセンセーショナルな議題を無理矢理接続した上で、女性学の内容についてアピールしつつ当たり障りのない一般論を展開している。
今回の祝辞を称賛する声の中にも「前半は賛同しかねるが後半を読んだらよかった」という声が散見されたが、そりゃ一般論なんだから当たり前である。この箇所を引用して「素晴らしい祝辞だ」「これが心に刺さらないようでは学生はダメだ」みたいな言説が拡散され続けているが、こんなこと東大生にもなったら普通に承知しているような内容でしかない。東大生の知性を低く見積もり過ぎだ。
この一般論はまあ良いことを言っていると承知した上でみんな前段の内容に反発しているのであって、この祝辞を賞賛し、批判の声を見下し矮小化している者達はあまりに視野が狭すぎるし、むしろ普段から弱者救済や差別解消の問題について考えてなさすぎる。

後段の内容をギュッと要約するとこういうことだ。

「皆さんは努力が報われた結果としてここにいますが、世の中には努力しても報われない不幸な人達がいます。だからご自分の努力の結果を自分のためだけに使うのではなく、弱者に手を差し伸べることを忘れずに。そして、どんな社会でも生きていける本当の知識をこの学校で学んで下さい。」

とこんな感じ。特に新鮮味がないといえば新鮮味のない、ノブリスオブリージュの概念を説明した一般論である。この部分だけ切り取ったら誰の発言かもわかるまい。というか、単に祝辞がしたければ最初からこれだけを言えばいいのである。
しかし、普段の上野千鶴子を知っていれば、ここの「弱者」の定義が、もっぱら彼女の政治思想に合致する形で都合よくチョイスされた属性集団のことを指していることがわかる。

断言するが、上野千鶴子の主張したかった内容は後段の一般論ではなく、前段の、多分に本人のバイアスのかかった「女性差別」論である。東大入学式の祝辞という祝いの場を、己の政治的アジテーションの場として私的に濫用しつつ、せっかく辛い受験を終えたばかりの若い異性に己の偏見からくる性差別的言説をぶつけて悦に浸りながら、そうと世間に悟られないための最低限の体裁を整えるべくとって付け加えられたものが後段の内容である。

それが穿った見方でない証拠に、よく読むと後段の内容と前段の内容の間で整合性が取れていない。

後段で「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。」と言いながら、前段では「かわいい」とされる女子の価値を強引に否定し、短大に通う女子を性差別の結果と断じ、大学内で高い地位に就く女性が少ないことを嘆くという、極めて「男性的」な価値基準で女性差別問題を語っている。そこに将来の選択肢として専業主婦や、短大あるいは高卒で早期に将来の進路のために社会に出るといった選択肢はなく、ただ安易に一人でも多くの女性が良い大学、高い地位に就くことを称揚している。そのために、ギリギリ明言は避けたものの、大学入試のペーパーテストの内容にまで本来起こり得ない性差別が介在する可能性を示唆しているのだ。
「単に男性に比べてそのようなキャリアパスに魅力を感じる女性が少ないため母集団が偏った結果」とか、逆に「異性にかわいいとチヤホヤされたり、その結果として学歴や職もなく専業主夫になるといった、男性にはほとんど与えられていない選択肢が排除された結果として、男性が過当競争に身を置くしかなかった可能性」とかは、上野千鶴子の脳内には全く存在しないし、「専業主婦が専業主婦のまま社会的地位を向上させていく」という筋道も提示されていない。「弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」とは何なのか?
また当然に「稼得の責任や強者としての役割を押し付けられ、女性より圧倒的に貧困に陥りやすく、自殺や過労死、ホームレスになる割合が高く、犯罪の加害者にも被害者にもなりやすく、あるいは危険な労働を課せられ、あるいは性被害や性差別の問題を矮小化あるいは無視されやすい弱者としての男性像」も、彼女の頭の中には存在しないだろう。そんなものは「フェミニズム」の領域に存在しないからである。
この後段の主張は、文全体の中でもやや異質で、普段の上野千鶴子の主張内容とも全く整合性が取れていないので、単に思ってもいないことを建前として語ったために話のつじつまが合わなくなったのだとわかる。

またその後で、大学以降の社会を「正解のない問いに満ちた世界」と表現しながら、前段では既に述べた通りいくつもの偏見に基づいた「性差別に満ちた東大で、ゲタを履かされて入学してきた男子学生」という、ともすればそれ自体極めて侮辱的で性差別的な「回答」を学生達に押し付けており、逆説的に「自分の知っている範囲で考えた結論に安易に飛びつく愚かしさ」を自ら体現してしまっているのは皮肉というほかない。「自分の言っていることは正解ではないから信じるな」という意味ならわかるのだが。

ようするに、この祝辞はおよそ褒められたものでもなければ、むしろ差別的偏見に満ち溢れており、ましてや人生に一度の大事な入学式を、活動家の政治的プロパガンダに利用されてしまった東大生たちの憤懣たるや察するに余りある。こんなものに感動してるやつは単に「他人事」だから感動していられるのであって、東大生当事者ではないから、外野から好き放題言えるのではないだろうか。


もちろん、自分だってご多分にもれず他人事ではある。ではなぜ、ここまで長文を書き連ねるくらい、上野千鶴子の祝辞が自分にとって癪に触ったのか、その理由を考えてみた。
それはおそらく、強者として生きる自分を省みて弱者救済のために奉仕せよという、いわゆる格差是正のためにしばしばなされるノブリスオブリージュの理論を本旨に採りながら、なによりも上野千鶴子自身が格差拡大の原因の一端を担ってきたことに、本人が全く無自覚である点にある。

現在、世界中の富はごく一部の強者に独占されている。世界人口の半分近い富は、上位100人ほどの手によって占有されており、その殆どはアメリカの白人達である。日本でも「一億総中流」と言われた時代はとうに過ぎ去って、貧困と格差の中へと進もうとしている。
その一因と言われているのが、女性の上昇婚志向「ハイパーガミー」である。女性は男性がそうであったように、無職の家事手伝いの異性を一生をかけて養おうということは殆どなく、どんなに高学歴、高収入になったとしても、一般的には自分より社会的地位の高い異性を選好すると言われている。このハイパーガミーは従来男性優位社会の特性だと言われてきたが、どんなに女性の社会進出の進んだ国でもこの傾向は変わっていない。それは女性のジェンダーロールに「甲斐性」という強者の特性が結び付けられていないからだ。なによりこの傾向を上野千鶴子自身が過去に「エリート男しか会えせないのは、エリート女の泣き所」といって無批判に肯定している。
その結果として、先進諸国では女性の社会進出が進めば進むほど、パワーカップルとウィークカップルとの格差が拡大し、それが貧困化のサイクルや社会分断を生んでいる。格差是正をアファーマティブアクションというなら、従来型の、男性が稼得能力の低い女性に手を差し伸べ養うという形態は、これ以上ないアファーマティブアクションであったといえるはず。女性の社会進出を促進するならば、当然に女性にも「甲斐性」や「家長としての責任」を課して、無職や低所得の弱者男性を養う義務を負わせるよう、むしろ女性側の意識変革を促さねばならなかったところを、単に女性が社会に出て働くことだけを称揚した結果、どこの国でも同じような問題が噴出している。
だいたい、家事育児の労働にしたって立派な社会労働と言うべきで、むしろ批判すべきは、そうした労働の価値を低く見積もり、稼得能力のみをもって人間の能力を決めるような旧来のマチズモ資本主義であったはずなのに、女性にまでそのような偏った思想を無批判に植え付けて雇用労働の市場に追いやった結果、社会格差が深刻化して貧困の再生産に加担し、「フェミニズムはネオリベラルの婢女」と言われるようになったこの現状を、日本のフェミニストの第一人者としてどう考えているのか。
そもそもかつての欧米の専業主婦といえば、自分で自由に出来る財産を所有できず、旦那の性交渉を断ったり容姿が衰えたりすればそれ自体が離婚事由として裁判でも認められると言われるような弱者であったわけだが、それと現在なお全体の7割が家計を握っており、半数以上がセックスレスで、離婚時の財産分与でも親権裁判でも優遇され、極めて経済的に恵まれた環境の中で「亭主元気で留守がいい」と言っていた日本の専業主婦を同じもののようにして語ること自体がそもそも間違いである。日本の専業主婦の社会的地位は他の先進国に比べて元々圧倒的に高い。それは弱者たる女性を保護するべく様々な法的優遇を図ってきた結果であって、その構造を温存しながら「男女平等」を訴えたところで、未だに若い女子の将来の夢の多くは専業主婦になることであり、実際3割近くの女性は専業主婦になっている。その責任を日本の「男性優位社会」「男尊女卑」に求めるならば、日本社会は弱い女性を保護などしようとしてこなければよかったのか。
畢竟、アメリカの社会問題の解決のために生まれた「フェミニズム」という思想を、日本社会独自の背景も考慮せず、まるで木に竹を継ぐようにして日本にそのまま導入しようとしたことが間違いではないだろうか。その結果として貧富格差が拡大される一方、貧困問題そのものは「自己責任」のもとで置き去りにされ、女性専用車両のように男性を公的空間から排除する論理は容易く正当化され、そして上野千鶴子の教えを受けて育った女性たちは「男性をいくら差別しても構わない」とばかりに、毎日のようにSNSで差別的言説を振りかざしている。その責任について、彼女はなにも考えていないのだろうか。

経済格差の拡大が少子化のみならず、治安悪化の要因ともなっているのは既に知られている通りである。フェミニスト達は女性達の権利向上を図ったつもりで、むしろ女性達が安心して暮らせない社会を作ってきた。フェミニズム先進国と言われる国々はどこも一様に日本よりはるかに治安が悪く、性犯罪は増加の一途を辿る一方で自警主義(ヴィジランティズム)が台頭し、何の罪もない一般市民が私刑にあい殺されるような事件も常態化している。
女性達が社会の当事者意識を持たないまま、「守られる側」としての意識を持ったままで性犯罪について語ろうとすることは、人権概念に対する強烈なバックラッシュにもなり得る。「自分は被害を受ける側であり、加害者側に立つことはありえない」という考えを持つ女性が多いからこそ、昨今のように「性犯罪無罪判決」に対して苛烈な反対運動を起こす。
性犯罪それ自体、合意の上であればなんら違法性のない行為を、客観的に証明の難しい合意の有無によって裁くという性質上立証が難しいことはわかりきったことで、それにも関わらず本邦では99%以上の起訴された性犯罪が有罪になっている。当然に危惧されるべきは雑な司法判断によって冤罪が生み出されている可能性であって、実際に多くの冤罪が起きていることが幾度となく明らかになっている。その中で、一度性犯罪者の嫌疑をかけられた者には永続的に社会的制裁を課してもよいとか、裁判の結果として無罪になっていても、都合よく切り取られた報道内容などを鵜呑みに外野から勝手に有罪を推定して被告人の制裁を望むといった態度には、まるっきり「人権」の二文字はみられない。司法の適正手続や、推定無罪の意味、そもそも人が人を裁くという機能を国に集約した意味をなにも考えていない。新潟でも、性犯罪者にGPSをつけて監視せよと「ミーガン法」まがいの条例案が提起されたことがあったが、このような運動が結果として私刑の正当化、司法手続の形骸化を促し、法治主義そのものの存在意義を喪失させることに気がつかないのは、法教育の敗北以前に、彼女達が自らを「加害」の当事者にはなりえないと無邪気に考えているからであろう。
多くのフェミニストは、性犯罪の問題において男性達の「当事者意識」の欠如を批判しようとするが、実態は全く逆である。そもそも実際には、女性達が思っている以上に男性も性被害に遭っている。アメリカでは性犯罪者の2割は女性であると言われており、特に児童性虐待の分野において顕著で、男児の性虐待被害は女子の倍近いとする報告もある。また男子学生が女性教師に性虐待を受けるケースは、男女逆の場合より何倍も多いとすら言われ、実際にニュースになる事件も圧倒的に女性加害者が増えてきている。
そんなアメリカでも、刑事裁判において女性の犯罪が男性よりも軽く扱われやすいと言われているのだから、「性犯罪者の99%以上が男性」と言われる日本で、どれほど女性による性加害が見過ごされ、容認されているか想像に難くない。実際、刑法が改正されメイルレイプが違法化されたのは、本邦ではつい一昨年のことである。はるか古代から強姦の対象として推定されてきた女性とは、重ねてきた歴史が違いすぎる。今でも女性の60%が痴漢に遭った経験があると言われる一方で、男子学生も全体の15%は痴漢に遭っているとも言われている。そもそも「男脳・女脳」が疑似科学として否定され、男も女も同じ人間で性差などないという前提に立っているのだから、男女関係なしに一定割合で性犯罪傾向はあると考えるほうが平等原則に照らして正当である。雑な男女論で社会を切り分け「女性が被害に遭っているのだから、男性を排除することは差別ではない」と吹聴する日本の女性達こそ、こうした社会の変化に対していささか鈍感なのではないだろうか。
勿論、全ての男性が女性と同等に性被害に遭っているとまでは言わないが、男性の性被害、性暴力の告発のし辛さは女性の比ではないだろう。フェミニストは概して女性が性被害に遭いやすいことを男性が軽視している、女性が日々受けている危険に無知、無関心であると主張するが、逆に女性だって、電車である日突然異性に腕を掴まれて「この人痴漢です!」と騒ぎ立てられて、何の非もないのに家族や仕事を失う可能性や、数年前に性行為をした相手が突然「私はあの人にレイプされました!」と吹聴し、社会的信用を一方的に毀損されたり、場合によっては犯してもいない罪で投獄される恐怖とは全く無縁な世界で「安全に」生きていて、そのことに無知あるいは無関心である自分について想像力が欠けているのではないだろうか。隣の芝は、どこだって青いのである。
性犯罪は男女関係なしに被害に遭う可能性があるが、「性冤罪」はほぼ男性だけが遭う性被害である。アメリカでは性被害の告発の実に過半数が虚偽だという軍の調査もあり、日本の弁護士達も法律事務所に相談に来る性被害の8割以上は虚偽であると実態を踏まえて語っている。「統計は大事」だなとど言いながら、フェミニストは常に不都合な「統計」を無視しようとする。性冤罪の類型は殆ど一定のパターンに従っており、大抵が「ある男性と性行為を行ったことが、露見しては不都合な男性(家族や恋人)に露見した際に、あれは無理矢理だった、と虚偽の自己弁護を図ること」によって起きており、自分もその被害に遭ったことがある。それも一度ではない。そうした虚偽の内容を真に受けた女性の伴侶や恋人によって、無辜の男性が暴力を振るわれ殺害までされたりする事件も実際に多発している。性冤罪が悪質なのは、そのように実際に犯罪に加担し、あるいは罪もない男性の人権を奪う行為でありつつ、ありもしない性犯罪をでっちあげることで、本物の性被害にも疑惑の目を向けさせるセカンドレイプの直接原因にもなっていることだ。ともすれば、これは通常の性犯罪よりも悪質であると考えられてもいいくらいなのに、依然として本邦では全くこの問題について省みられていない。性冤罪の問題を軽視するということは、すなわち性犯罪が「実際に起こっていようがいまいが関係なく処罰すべき」と考えているということであって、それ自体性犯罪そのものを軽視した考え方である。
痴漢にしたって「最も冤罪の多い犯罪類型である」と多くの法曹関係者が言っているにも関わらず、そんなものは存在しないかのように無視する発言をする女性がSNS上には大変多い。しかし、法治国家において冤罪の可能性に無関心なまま人権について語ること自体、人権概念をよく理解していない証拠であると言ってもいい。
表現の自由に関しても、男性向のポルノやアニメに対して無理筋な批判を向けようとしながら、一方で自分達の表現に対してはなんら批判の対象にならないかのように思い上がり、たまに批判を受けると「ミソジニー」と雑に認定した上で議論を封殺する。民主主義社会において表現の自由が優越的地位にあることは、法学部の学生までいかなくとも、中学公民レベルで習うことだ。思想表現の自由の認められない社会での民主主義は畢竟独裁体制の正当化にしかならない。「猥褻表現の検閲」とは、元々体制側が国民を都合よく管理するために、反体制を取り締まるための方便であった。フェミニストはこうした基本的人権をとりまく歴史すら共有していない。
その一方で、先に述べたようにフェミニストは「稼得の責任や、強者としての役割を押し付けられるために、女性よりも社会的弱者に陥りやすく、自殺や過労死、ホームレスになる割合が高く、また法的社会的不平等によって、犯罪の加害者にも被害者にもなりやすく、あるいは危険な労働を課せられ、あるいは性被害や性差別の問題を矮小化あるいは無視されやすい弱者としての男性像」にはどこまでも無関心で、「男性のプライドの問題」として矮小化しようとする。それならば、女性差別の問題だって「女性のプライドの問題」に矮小化できてしまいそうなものだ。
そして先日は、児童を虐待死させた母親に対して「父親の責任もある」と減刑を求める署名が行われ、多数の署名が集まっていた。一部の日本女性達は、自らの子供を安全に育てることに対してすらしばしば責任を放棄する。逆に父親が児童を虐待死させたとしたら、伴侶たる母親の責任を問うべきだと思っているのだろうか?こういう女性は「男性の家事育児参画率が低い」と文句を言いながら、その原因であるはずの男性の労働負荷の高さや、日本の長時間労働についてはほとんど無関心だ。日本男性の平均労働時間は女性の二倍、過労死率にいたっては十倍もの開きがある。肉体的に過酷な業種においても殆ど男性が従事しており、四季報によると、たとえば鳶職などの女性率は全体の0.8%程度だと言われており、他にも男性率の高い職業の多くは、肉体的に過酷な、命の危険を伴うような職業が占めている。このような傾向は日本だけに限らず、先進国のいたるところで起きている問題だ。にも関わらず男女の賃金格差がゆるやかに解消されてきているということは、男性は女性に比べてその高い労働負荷や長い労働時間に対して十分な賃金を得ていないということであり、これはむしろ男性差別の問題とも言える。
このような女性達は、もちろんSNSという狭いコミュニティの中で発信された偏った集団に過ぎない。しかし彼女たちはまぎれもなく自分達が「批判される側」「告発される側」にいないという信仰ゆえの「安全圏」から無責任に石を投げている。自分が「加害者」の立場に立たされた時のことを考えたことなどないし、一度そのような立場に立たされそうになれば簡単にその責任を回避しようとする。それを「無責任」以外の何だと言えよう。
そもそも、フェミニズムにとって「弱者救済」ほど相性の悪いテーマはないのではないだろうか?弱者というのは本来、犯罪傾向が高いものだ。日本における在日、アメリカにおける黒人、欧州におけるムスリム。いずれも日本人や白人より何倍も犯罪率が高い。性犯罪についても同様である。そもそも法律や裁判というものは強者にとって有利に作られ運用されがちな一方で、弱者は真っ当な教育を受けづらく、経済的に困窮しやすい環境だからこそ犯罪に追い立てられる。その中には、生まれつきハンディキャップを背負った者達も当然に含まれる。日本の刑法犯の平均IQは70程度だとも言われている。そのような犯罪傾向の高い集団を、たとえ自分がその犯罪の被害者となろうとも「自分がもし相手の立場に生まれたら、自分も犯罪者になっていたかもしれない」という想像力を働かせる、ジョジョ1部のジョージ・ジョースター1世のような精神こそが肝要であり、十分な教育を受ける機会を損なっているがゆえにモラルが低く、困窮しているがゆえに犯罪傾向が高く、ともすれば自分に危害を加えてくるかもしれない集団に手を差し伸べるという、本来人間的な本能からは逆行する行為を行わねばならないのが弱者救済であって、それが困難だからこそ、ノブリスオブリージュや弱者救済の精神が一般論としてはこれほど社会に共有されてはいながらも、それがなかなか実践に結びつかずに格差が拡大するのである。「性犯罪者、許すまじ」なんてのは、単なる遵法意識であって、弱者救済でもなんでもない。自分達を「犯罪の被害に遭いやすい、可哀そうな女性達」と定義して、そのような女性を弱者として救済してくれと主張することは、単なるミーイズムであって、弱者救済の精神とは根本的に相容れないし、ましてや男性の犯罪率の高さを理由にして「女性専用」の空間や「男性差別」を正当化することは、まったく在特会のような集団が主張してきた「在日特権を許さない」「我々は被害者である」と変わらない。
何が「弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」か。フェミニズムを取り巻くこのような現状について、本邦にフェミニズムを取り入れた上野千鶴子は一体どのように考えているのか?「私はこのようにして女性学の第一人者になれたのだ」とドヤ顔で自らの功績をひけらかすのであれば、当然にその結果について自らの責任を考えるべきだ。だが今回の彼女の祝辞はただ、男性全体の日々負わされている苦難や差別をまったく無視して、自らの過去の功績をことさら誇示するために、目の前の男子学生たちの努力の結果を否定し、いわれのない罪の意識を押し付けながら、男女の分断を促進しただけに過ぎない。

長くなってしまったが、では当該祝辞を学生達はどのように受け取ればいいのか?
正解は、さっさと忘れることである。そもそも大学の入学式で聞いた祝辞なんてみんなすぐに忘れている。時代錯誤な老害の説教が若者に与える影響力なんぞ推して知るべしである。そんなものはさっさと聞き流し、自分達のこれからの時代を前向きに生きたらいいのだ。今回の祝辞に「感激した」「素晴らしい」と喝采を上げている大人達だって、きっと数日経てばすっかり忘れている。短い人生、そんなものにいちいち一喜一憂するべきではない。目の前のやるべきことを淡々とやるだけだ。
それに、上野千鶴子の祝辞を聞いてもし学生達が上記のような社会問題に向き合い「こんな偏狭なオバさんが大きな顔をして差別について語ってるような世の中を何とかしなければならない」と問題意識を抱いたのならば僥倖で、これを切っ掛けに本邦で軽視されがちな男性学の分野が発展し注目を集めることになれば、それこそが性差別問題を前進させる原動力にもなりうる。男性学はそれこそ上野の言を借りれば「ベンチャー」である。もしかしたら、今から本格的に研究していけば将来は一つの学問の権威として認められるかもしれない。これからを生きる若者達にこそ是非チャンレジしてみて欲しい。「男性が差別されている証拠」なんて、先に述べたようにそれこそ無数に溢れている。唯一のハードルは、男性の被害や苦境に対する社会的関心の低さだけだ。

もしも上野千鶴子の祝辞を聞いて、あるいは自分のこの記事を読んで、性差別の問題に本当の意味で関心を持ち、いずれ男性差別解消のための運動をはじめるならば、自分も何らかの形で積極的に支援していきたいと思う。どこかのオバサンみたいに、年甲斐もなく若者の事情について知った風なことを言い、偏屈な説教などすることなく、ただ金だけ出すとかして、ね。


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追記。

https://note.mu/hirotakai/n/n7e4d16fb2257
https://anond.hatelabo.jp/20190413114026
上記の他、日を追うごとにSNSでも上野祝辞についての批判意見が多くなってきたように見える。
やはり当初の反応は、権威主義者達の脊髄反射的反応に過ぎなかったのか。

あと思い出したが、ほんの3年前には「東大入試は女子が有利になるよう調整を行っている」と各所で話題になっていたことがあり、他にも東大以外の大学や、公務員試験などでも女性優遇が行われているという噂が巻き起こった。じゃああれはなんだったんだ。
https://matome.naver.jp/odai/2148076378662143001


いうか、あれこれ難しいこと考えなくても、
「今の大学入試は女性が優遇されていて、合格したのは皆さんの努力の結果ではない」とか「ヤれる女子大ランキングを見れば、この大学の女子がどういう目で見られているかわかる」とかに置き換えて、同じことを男女逆にして男性教授とかが大学でスピーチしたらどういう反応があるか想像してみれば、その内容が事実かどうか関係なしに場に適切な発言であったかどうかわかりそうなものだが。

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