[新作]刀剣男士食べ放題セット

刀剣男士食べ放題セット
972円/ポイント10%
ゆるふわお股のビッチ審神者が、イケメン刀剣達とセックスし放題!男性向け兼女性向け、と〇らぶ同人誌2冊+折本2冊のセットです。
18禁マンガ画像(JPEG)PDF同梱

[新作]刀剣男士食べ放題セット

刀剣男士食べ放題セット
972円/ポイント10%
ゆるふわお股のビッチ審神者が、イケメン刀剣達とセックスし放題!男性向け兼女性向け、と〇らぶ同人誌2冊+折本2冊のセットです。
18禁マンガ画像(JPEG)PDF同梱

[新作]夢ノ咲学院の転校生ちゃんがアイドルの卵を食い荒らしてるって本当ですか!?

夢ノ咲学院の転校生ちゃんがアイドルの卵を食い荒らしてるって本当ですか!?
756円/ポイント10%
イケメンばかりのアイドル育成学校に転校してきた女の子が、性欲オバケの色情狂だったら!?C95発行のあ〇スタ同人誌DL版。
18禁女性向けマンガ画像(JPEG)PDF同梱

「学級会」から卒業しよう。

「進撃」のサシャのコスプレをしたグラビアアイドルがSNSで叩かれてるみたいです。

大抵こういうの、はちまとかから民度の低い連中が集まってきて炎上するんですよね。自分も経験あります。というか、今回ちょうどうちの売り子も晒されて、一部そういう連中が寄ってきてました。

炎上のお約束ですけど、こういうの叩いてる側は、ほんとにいろんな理屈をつけてくるんです。
「原作愛がない」「原作と違う」「売名」「ブサイク」「キャラのイメージが壊れる」「二次元と三次元は別」etc……。
でもそれ、コミケで一般的に売られている本や、一般的なコスプレにも言えちゃいませんか。

「子供だって来るようなとこで……」とか「常識的に考えて……」とか、みなさん色々な理由おっしゃいます。
理屈と膏薬は何にでもつくとはよく言ったもので。本人はそれが正しいって思ってるんでしょうけど。
断言しますが、オタクの世界で「常識」だの「モラル」だの持ち込んで学級会はじめるヤツってのは、全員イキリオタクですよ。

だってそんなこと言ったら「常識的に考えてコミケに子供なんか連れてきていいわけない」し、そもそも「常識で考えたら無許可のエロパロ、ホモパロ同人誌なんか売っていいわけない」とか「本を売る場であるコミケでコスプレなんてやるのは場違い」とか「子供の目のつくところでホモセックスしてるような漫画を売るのは非常識」とか、言い始めたらコミケなんか全部吹っ飛んじゃいますよ。
でも、子供連れじゃないと来れない人達もいて、一方で好きな漫画描いて売りたい人達と、それを買いたい人達がいて、コスプレがしたい人達とそれを撮りたい人達がいて、色んな人がコミケという混沌とした世界の中で絶妙なバランスで両立してるわけですよね。
そのために、人目につく範囲ではせめて乳首や性行為の絵は隠すとか、コスプレでも局部や乳首が見えないようにしっかりガードするとか、盗撮はダメだとか、徹夜はダメだとか、本の中身の修正は商業誌に準じてとか、運営の設定した最低限のルールがあるわけですよね。そういう何がOKかダメかを判断する権限は、普通に考えたら運営にしかないわけで、何の権限もない一般オタクがあれがOKだ、これはダメだ、やいのやいの言うのは全く無意味です。運営に直接それを言うのは自由でしょうけど、それだって最終的に判断するのは運営側ですし、ましてやそれをすっ飛ばして本人を直接攻撃する行為には何の正当性もないですよね。

オタクの世界って、常識とかモラルとかから排斥されてきた世界ですよね。そういうマイノリティの世界で、自分がマジョリティみたいな面して自分ルール振りかざすのはもう立派なイキリですよ。「自分はオタクだけど普通の人の感覚がわかってる」って勘違いしてるんです。「リアルではモンクタイプ」の亜種です。
たとえばコミケをテレビとかで特集した時に、キャラの服装をちょっとエロくアレンジしたコスしたりする姿と、ホモパロやらエロパロやら売ったり買ったりしてる姿と、どっちが普通に映せるかって考えたら、おそらく前者ですよ。後者には大抵モザイクがかかる。一般人からしたら「セクシーな格好した女の人を見に来たり撮影したりする」のはグラビアアイドルとかの延長線上で理解できるけど、「アニメや漫画のキャラを勝手に男同士で絡ませたりエロいことさせたりするような絵や漫画を、長い時間や労力かけて描いたり売ったり、それ買うために炎天下に長時間並んだりする」のは全く理解不能ですよ。ともすれば法令に引っかかりやすいのも後者の方でしょう。

そういう一般人からしたら理解不能な世界にいるのに、「自分は一般人の感覚がわかってる」「常識が守れている」と思ってるほうがズレてますよ。エロコスしたりエロ同人描いたりしてるよりも、むしろそれを批判してる側のほうが、全然自分が客観視できてないんです。そういう「一般人の感覚」がもうわかんなくなっちゃってるからこそ、エロ同人ホモ同人読みながらエロコスとかに目くじら立てるようになるんですよ。あるいはそういう人は「自分は特別」だと思ってるんです。でもこういう世界で「あいつは異常」「普通じゃない」言い出したら、それ全部自分にかえってきますよ。「あのキャラはそういうことしないのに、あの女はキャラの性格とか人生を無視してヘンなコスプレしてるんです、許せないでしょう!?」ってアニメも漫画もロクに見ない一般人に向かって口角泡を飛ばす自分の姿を想像してみて下さいよ。

逆にそういうのの延長線上で、一般人がハロウィンの時とかにコスプレして電車乗ったりしてるのを「家からコスプレしてくるのはルール違反」とか言い出して一般人を攻撃しはじめちゃうんですね。コミケや同人の内輪ルールを一般的な社会のルールと混同してる。でも「自分の信じてるルールや常識が当たり前」みたいになっちゃうと、オタクってすごく分が悪いと思いますよ。

「コミケ運営の規約に反してなければ何やったっていいわけじゃない」って言う人いますけど、違いますよ。法令や運営のルールに反していなければ、基本的には何やったっていいんです。だからコミケカタログにはあんなに長々とコミケのルールが事細かに書いてあるわけですよ。ダメならスタッフが止めてます。今年だともう73万人とかが集まるようなイベントですから、当然にいろんな人が来ることが想定されているわけで、それこそ脅迫だったり爆発物を持ち込んだりするようなヤツと戦って「自由な場」を守ってきたのがコミケなわけです。
そこに自分の主観だか社会の常識だかわからないような曖昧なルールを持ち込むんだったら、それこそ「常識的に考えて」「いい年してアニメなんか見てるヤツはキモチ悪い」ですよ。

今年から有料化に伴って「お客様感覚」の参加者は増えていくんじゃないかと言われてます。
「お金出してるんだから、誰が来ても問題ないような快適な空間を作る責任が運営にはある」みたいなトンチンカンなことを言い出す人もいると思います。そういう考えが「私がルール」を呼び込むんでしょう。
けどオタクやってくんなら、せめて自分が「普通」の側に立てるなどという驕りは捨てましょう。
自分も含め、いろんな人がいるっていうのを受け容れないと、自分も受け容れられなくなりますよ。

表現の不自由展について

愛知県内で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展」の展示内容が、反日プロパガンダであるとしてネットを中心に批判炎上、わずか3日で中止に追い込まれる事態となった。

「表現の不自由展」中止に 少女像作品めぐり抗議が殺到
各種メディアでは「少女像」の問題に矮小化されているが、自分の観測範囲だとむしろ昭和天皇の写真を焼く映像作品に対する批判が多かったように見えた。
-大元帥服をまとった戦前の昭和天皇と推定される、焼け焦げた写真を描いた「焼かれるべき絵」や、昭和天皇の写真をバーナーで焼くシーンを含むドラマ風の映像も流されていた。
-大浦氏の作品「遠近を抱えて」を鑑賞する人々。映像には「侮辱的だ」などとする批判が相次ぎ、抗議のうち4割は昭和天皇をモチーフにした作品に対するものだったという。

また一部には、2017年に香港の展覧会で展示された「安倍首相と菅官房長官の口の中をハイヒールで踏む」作品が、本展覧会に展示されたものだという誤った情報も流れており、これが批判に拍車をかけた。
このことは芸術監督を務める津田氏本人がデマを否定するツイートをしていたらしいのだが、そもそも津田氏自身、Twitter上で異論・反論を述べるアカウントを片っ端からブロックすることで有名な人物であり(「らしい」と書いたのは自分も一切絡んだ事がないのに何故かブロックされているためである)、このことが皮肉にも、当の批判者たちの間で津田氏自身のツイートが共有されず、誤情報が修正されずに拡散され続ける原因にもなった。

さらにこの件を受けて、表現の不自由展の実行委員会が「戦後最大の検閲」と称したことについても「明らかな誇張だ」と批判が起きている。
元々今回の「表現の不自由展」で展示された「表現の不自由をめぐる年表」に記載されていた内容にも偏りがあると言われており、(https://togetter.com/li/1383581)、それにともなってこうした発言が出てきたことで「検閲の歴史について不勉強」「彼らにとって興味のない表現規制・検閲の歴史が無視されている」と批判する者も多かった。

では、そもそも今回起きたことは「検閲」なのか?

憲法第21条第2項は、言論の事前検閲を禁じている。
ここにおける「検閲」の定義とは
「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す」とされている。(最大判S59.12.12 札幌税関検査事件)

今回、表現の不自由展が中止になった背景として、二つの理由が挙げられている。

①抗議や脅迫などの電話に対応する職員の疲弊、セキュリティー上の問題
展示中止を決めたうちの一人、キュレーターの津田氏はこのことを主な理由として強調しており、逆に行政からの圧力に対してはほとんど述べていない。

②行政の判断
殺到した抗議の内容を受けて、実行委員会の会長代行を務めた名古屋市市長の河村氏が「日本国民の心を踏みにじる行為で、行政の立場を超えた展示が行われている」として即刻中止を求めた。https://www.asahi.com/articles/ASM824TN5M82OIPE013.html
この点については一方で、会長を務めた大村知事は「検閲ととられても仕方ない」と主張しており、実行委員会の中でも意見が割れているのが現状である。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190805/k10012022411000.html

①について、過激な表現が時に抗議や脅迫を呼び込むのは残念ながらごく普通のことである。京都アニメーションの不幸な事件においても、以前より脅迫状は届いていたと言われていたし、また近年では2013年に「黒子のバスケ事件」が起こり、ジャンプフェスタやコミケにおける「黒子のバスケ」関連の出展が中止となる事態にもなった。
一方で、そうした脅迫をいちいち取り合っていては表現の場が守れないという問題もある。自分みたいな個人の作家でも何度か脅迫状めいたものは送られてきたことがあるし、大規模な展示会ともなればそれこそ玉石混交なクレームや批判の中に脅迫めいたものが混じることも珍しくない。先日の京都アニメーションの事件を受けて敏感になったのであろうし、実際に会長の大村知事もそのように発言している(https://www.huffingtonpost.jp/entry/oomura-conference_jp_5d454be5e4b0aca3411e2fe0)が、こうした脅迫行為に安易に屈して表現を取り下げてしまうとなると、それこそ脅迫やテロといった手段に成功体験を与えてしまうことにもなる。警察の対応能力にも当然に限界はあるわけだが、少なくともこうした脅迫行為を受けて自主的に表現を取りやめることを(たとえ安全保障上の問題を警察から指導されたとしても)「検閲」とは言わないだろう。

一方で②についても、これを「検閲」とするのはいささか強引であるとする意見も多い。
そもそも「あいちトリエンナーレ2019」の主催は行政庁であり、当の県知事が会長を務める実行委員会である。行政自身の責任でもって行われた展示会で、「この展示内容が行政の名前で行われることが相応しいか、そうでないか」を判断する権限は当然に行政にあり、内容が相応しくないと判断されれば取りやめになることもあるだろう。河村市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」という政治的な名目で中止を求めたこと自体は確かに拙いが、そもそも当の展示物である少女像の作品それ自体もまた国際的な問題を抱える政治的な表現物であり、このような作品が行政の名前で展示されること自体が、行政機関の政治的中立性を疑われたり、行政の政治的立場を誤った形で斟酌されることにも繋がりかねないという危惧もまた、当然に起きうるものである。

また当の表現物それ自体、別に表現の場を奪われたわけでもない。「あいちトリエンナーレ」の内容に相応しくないと判断されただけであって、行政が責任を負わなくていい場でやればいいのである。
つい先日も、コンビニからエロ本を排除するにあたって「なくせとはいってない、コンビニで売らなければいいだけ」(実際コンビニのエロ本はコンビニ向けに作られている本なので、コンビニで売るなというのは事実上の廃刊要求なのだが)と言う世論によって正当化され、ついに今月からコンビニからエロ本が一切なくなってしまったばかりだ。(ちなみにこの排除を「売れなかったから」と市場原理によって正当化するデマも流れたが、コンビニエロ本は他の書籍に比べ売り上げが高く、普通に扱われている他の商品でもっとはるかに売り上げが低いものは無数にあるので、事実ではない)今や紙のエロ本は全国に限られた同人ショップとごく少数の書店でしか扱われることが許されておらず、その中身も我が国固有のモザイク表現でガチガチに法規制されているわけだが、こうしたことが公然とまかり通っているということは、ここまでしてなお憲法で禁じられた「検閲」とは公に認められないということである。
それに比べて、単に行政主催のイベントが主催者の判断で中止になったというだけで「検閲だ」というのはあまりに大袈裟だ。それこそ「他所でやればいい」と言われてしまうだろう。この点について、過去に実際に表現検閲を受けたろくでなし子氏も「誰も逮捕されてないし、作品やら何やら片っ端から警察に押収されてもいないのに、なーにが「戦後最大の検閲」よ」と痛烈に批判している。https://twitter.com/6d745/status/1158013991479697410
もちろん本展示の場に向けて準備を進めてきた挙句に、わずか数日で作品群を撤去しなければならなくなった表現者達の心痛は察するに余りあるが、ああも「検閲」という語を雑に用いられてしまうと、表現規制の最前線にいる立場としては、どこにも発表の場がなくなって逮捕者くらい出てから検閲だなんだと言って欲しいとは思ってしまう。実際、コアマガジン裁判や松文館裁判など、性表現規制の現場では過去に幾度も逮捕者が出ている。それに比べると、行政主催の企画展から作品が取り下げられた程度で「戦後最大の検閲だ」などと吹聴してしまうのは、あまりに表現者としてピュアすぎる。

例えば、漫画雑誌の連載作品について世論から批判を受けて、出版社が掲載に不適格であったと判断して漫画の連載を取りやめたり、単行本の発行を中止するといった行為は(表現を生業にする者としての矜持はどうなんだという話は別として)、少なくとも「検閲」とは言わない。表現を取り下げる主体はあくまで当該表現に責任を負う出版社自身であって、出版社には自らの名前で持って発表される作品の内容をコントロールする権利があるからだ。「美味しんぼ」が福島に対する風評被害を広めた件で連載を中止にされた際も、あれを「検閲」だという者はいなかったはずだ。
行政にもまた、行政の名において行われる催しの中では、当然に行政が責任を負う範囲内でもって表現をコントロールする権利がある。これは行政が民間の表現物の発行等を禁じたり罰したりする「検閲」とは本質的に異なる。逆に今回の展示内容が「従軍慰安婦の嘘とでっちあげ展」だったとしても、やはり行政の名前でもってそのような展示を行うことは政治的に見ても好ましくないとして排除されることは十分にありうるだろうし、そうした排除を一概に「検閲」にあたるとするのは、少なくとも本来の語義からすれば誤用だと言わざるをえない。
一方で、官民問わずそのようなクレーマー行為によって表現の場を奪われる表現者の人権や心情にも当然慮られるべき所はあり、近年の表現規制に関する問題は政府・行政の主導する「検閲」よりも、こうした民生主導の形での規制へとシフトしてきている。歴史を紐解けば、戦前の敵性語狩りも民間の風潮によって作られた社会運動であり、また過去の悪書追放運動も殆どは婦人団体などの主導によって行われたものだった。真に「表現の不自由」を語るならば、そうした切り口で表現していただきたかった。

今回の件で、「プロパガンダ」「検閲」という語が雑に用いられ、不用意な対立構造を生むことは、かえって今日の表現規制に関する問題点を見えなくしてしまうのではないだろうか。
本件については、まだ事実関係の錯綜している部分もある。特に本企画の中止に至った経緯と、その中止を求めた主体が本当は何処であったか、という点について、上述した内容を踏まえても一概に判断しづらいところがある。
今回はひとまず備忘録的な意味で、ここまでの内容を記しておきたい。
記事検索
  • RSS
  • Dlsite blog