ありすの宝箱Blog

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性産業への職業差別の根幹にあるもの


昨今のコロナ騒動にあたって、性風俗の従事者が国の休業支援対象にならないらしいということがいま話題になっており、上記のような反対署名が行われています。

自分のTLでも何人かの賛同者を見かけましたが、正直自分としては、この施策が「合理的根拠のない明白な職業差別である」というような認識のままですと、厚労省に提出するにしてもあまり実効的な署名にはならないのではないかと感じています。

https://news.biglobe.ne.jp/trend/0403/bdc_200403_4877360269.html
すでに報道がある通り、厚労省が懸念しているのは補償金が反社の資金源に流れることであって、それは従来の「雇用関係助成金の共通要項」から流用された結果に過ぎず、今になってこれに対して「職業差別だ」と訴えるためには、こうした性風俗全体に向けられる認識に対する実態的な根拠を伴った反論が必要なのであって、それを全く無視して「職業差別である、憲法違反である」の一本鎗で押し通すべきかどうかは疑問の余地が残るように感じられます。

正直なところ自分としても、風俗もAVも昔よりはるかにお金にならなくなっている昨今、未だに性産業が反社の主な資金源になっているという説にはかなり懐疑的ではありますし、実際上記の記事中にも「反社会勢力とは一切付き合わないナイトビジネスの経営者が非常に多くなってきている」という弁護士の言葉もありますが、業界外の外野としては、そういった変化や実情に通じている人が少ないのもやむを得ないところでしょう。仮にこうした制度を職業差別だとして反対するのであれば、性産業に従事する女性達や外野の一面的な意見だけをまとめるのではなく、より業界の実態を広く周知するための運動を事業者側が展開し、また官民の相互理解を深めていく必要があるように思います。

そもそも性風俗が有害業務として見做されてきたり、反社の資金源になったりしてきたこと自体、こうした職業に対する社会的差別によって、彼ら彼女らの就労環境を追い立ててきたことが本質的な原因となるものではありますが、このような偏見を払拭するためには、突き詰めて考えると全国のお父さん、お母さんと戦っていかなければなりません。
なぜなら、性産業に対する職業差別の根源にあるものは「うちの子にこんな仕事をしてほしくない」「こういうお店がうちの子の目につくところにあってほしくない」という純粋な親心だからです。これは性表現についても同じです。

風俗の看板が街にあるのも嫌、目立つところに店があるのも嫌、という全国のお父さんお母さんの親心は、風営法や猥褻法の根拠となり、風俗店の健全な経営を阻害し、店舗型風俗は軒並み摘発されて新規出店が行えなくなり、ほとんどの風俗店は無店舗型へと切り替わり、そこで働く女性達は店員の目のつかない場所で客と一対一で密室で接客するという危険な環境に追いやられてきました。
およそ命の危険を伴うわけでもない性産業が、一歩間違えば重大な事故につながったり命を落としたりするような仕事と同列、あるいはそれ以上の有害業務として認識されていることの背景は、その労働内容によるものではなく、むしろ密室で客と一対一であるという労働環境の性質によって生じているものではないでしょうか。
仮にファーストフード店がデリバリータイプになって客の家に行き一対一で接客をしなければならないとか、コンビニ店員が密室のレジで客と一対一で接客をしなければならないとなれば、そうした店もまた性産業と同じような危険性、有害性を孕むようになるはずです。接客業で一般的に経験するようなトラブルがもし密室で行われるとなればどのような事態が起きるか、接客業経験のある人なら想像に難くないでしょう。

性産業の従事者をそういった危険な環境に追いやったのは、全国のお父さんお母さんの善意であり、親心であり、さらに言えば「子供と性を結びつけてはならない」という現代の道徳規範によって生じたものです。コンビニのエロ本(実態は全年齢向け図書)の存在すら許せない社会が、街中の風俗店の存在を許容できるでしょうか?街中に当たり前に性風俗が存在することが許容されていれば、そうした仕事に従事する人々はより安全な環境、より健全な企業の元で働くことができて、職業差別を受けることなく当たり前に結婚や転職ができて、安心して子供を育てることができたはずなのです。
「子供のためを思えば、安全に過ぎるということはない」という児童保護の風潮が、回り回って誰かの仕事を追い立てているのです。こうした認識は性産業、性表現の従事者のみならず、社会全体で持っていて欲しい。誰かの安全・安心は、得てして誰かの危険によって成立しているのです。

だからこそ自分は、児童にとって性が有害であるという社会通念そのものに対してずっと反対意見を述べてきました。それは性産業や性表現の従事者に対する「そんな仕事を子供に見せられるのか」的な職業差別へと繋がるばかりか、児童自身にとっても必要な性教育や性情報の獲得の機会の喪失にも繋がり、児童の自立や自己決定権の確立にも重大な悪影響を及ぼすと考えています。「児童はまだ判断能力が不十分だから……」という理屈で正当化されがちなこうした社会通念ですが、であればこそ十分な判断能力を身に着けるために、社会にあまねく存在する性についての知識を与えることが不可欠であり、それらを有害情報として扱うことに論理的根拠がありません。同じフィクションでも、暴力表現や戦争映画に悪影響が証明されていないのだから、当然に性表現にもそのような影響はないと考えるべきです。むしろ「フィクションの間違った性ではなく、正しい性を教えるべき」という理屈の方が、多様な性嗜好の在り方を否定し「正しい性の在り方」を押し付ける危険思想と言わざるをえません。現実の犯罪は現実で取り締まればいいだけで、フィクションの犯罪に何の問題がありましょう。子供は北斗の拳を見たから人殺しになるわけではありません。

https://twitter.com/normancengland/status/1246824331126030336
女性のおっぱいを映してはならないという価値観が生まれたのはいつからでしょう。先日コロナによって志村けんさんが亡くなりましたが、志村けんさんが活躍していた全盛期は当たり前のように女性のおっぱいがTVに出ていました。今ではTVで上半身裸を映せるのは男性だけです。これは性差別ではないのでしょうか。女性の胸が特別に子供にとって有害だという社会通念があるのであれば、無くすべきは女性の胸のほうではなく、そのような社会通念の方です。アメリカでトップレス運動にコミットしているようなフェミニストが、一方では漫画のキャラクターの胸を描くことにさえ反対する。極めて不可解なことです。「女を性的な対象として扱う価値観を広める」という馬鹿もいますが、異性に性欲を抱くことはごく当たり前のことです。女性が男性アイドルやイケメン俳優やホストに抱く性的関心と、男性が女優やポルノスターに抱く性的関心の間に序列をつけようとする女性こそが差別主義者なのであって、女性に性的な欲求を抱く男性の側に差別性はありません。
人として当たり前に持つ欲求、人として当たり前に持つ身体そのものに何か罪の意識を植え付けようとするのは宗教です。個々人がそうした価値観を各々持つこと自体は自由ですが、それを社会制度に反映させるべきではないというのが、近代合理主義的価値観の根幹だったはずです。

科学や論理ではなく、感情や信仰によって社会制度が構築されていることを宗教国家だと言うのなら、我々はいまだ21世紀の宗教国家の中にいるとも言えます。それはキリスト教的道徳規範なのかもしれないし、あるいはシモン・ルンドストロームが言うところの「子ども教」のような新しい宗教観かもしれない。しかし少なくとも、何の学術的エビデンスも伴わない道徳観によって、当たり前のように「子どもに見せてはならない」とされるような仕事は、同様にして当たり前のように、何のエビデンスも伴わずに「合理的根拠のない明白な職業差別」を受けるに甘んじるのは当然の流れだと言えましょう。


(2020/04/07追記)

上記記事の内容について、菅官房長官は休業補償の要領を見直す考えを示したようです。署名の提出前に先回りして内閣が動いた形になります。

https://mainichi.jp/articles/20200406/k00/00m/010/099000c
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2004/06/news127.html
あくまで官房長官の考えであって、厚労省の側はまだ取り扱いを変える予定はないようですが(「取り扱いを考える考えは」となっていますが「取り扱いを変える考えは」の誤字でしょう)、少なくとも民意は届いた形のようです。

(2020/04/07 13:00さらに追記)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200407/k10012372281000.html
厚労省もコロッと態度を変えてきました。当初の「過去に企業向け助成金で反社会的勢力の資金洗浄に使われていたようなケースがあり、不支給要件に入っている」という説明は何だったんでしょう?まさか行政庁がこんなスピード感で対応してくるとは思いませんでした。それだけ逼迫した事態だと考えられなくもないですが、こうなってくると根拠となっていた「雇用関係助成金の共通要項」自体の信憑性も疑われます。

さて、改めてこの話をせねばならないのは、今回の休業補償要件の話題の中で「風俗業に従事する者は納税をしていないのだから国の税金を使った補償を受けるべきではない」という意見が新たに噴出しているからです。
実際これは事実で、キャバ嬢・風俗嬢ともに90%近くが税金を申告していないと言われており、店の側も80%以上の業者が申告漏れを指摘されています。
https://jo-job.jp/tax/
自ら税金を納めたことがないせいか、SNSで間接税と直接税の仕組みについて理解していない風俗嬢が笑い物にされる騒動まで起きていました。
http://vippers.jp/archives/9490337.html

しかしながら、上記の記事を読めばわかる通り、このような実態を生んでいること自体がそもそも性風俗に対する抑圧の結果です。日本では売買春や風俗産業が公的に認められておらず、例えばソープの本番行為なども本来違法ですが、公衆浴場における一時的な恋愛関係ということで言い訳がされています。これは一般的に性が禁圧されているイメージのあるイスラム圏などの風俗業の建前と同じです。

これは性産業に限らず、性表現についても同じで、例えば刑法175条は猥褻表現を禁止していますので、本来日本では全てのポルノは違法な表現であって、みなさん大嫌いなモザイクは「これは猥褻表現ではないよ、セックスを描いていないよ」という建前のために入れられている日本だけの特別措置なのです。実際過去には、警察のおエラいさんが「エロ漫画は逮捕してないだけで本来全て違法」だと発言したこともあります。

自分も仕方なく税金を納めてはいますが、はっきりいって自分が徴税されていることに全く納得がいっていません。警察が本来違法だと主張するような仕事によって稼いだ金から税金を取るということは、警察は違法な仕事から得た金を元に働いているということになります。しかも自分の納税したお金で働いている警察は、自分をいつ逮捕しに来るか分からない。自分の人権をいつ奪いにくるかわからない者を自分のお金で養っているようなもので、到底納得のいくことではありません。
性産業に従事する者にとっても、いつ自分達の仕事を奪いに来るかわからない警察のために税金を払うなんて、と考えるのは当然です。合法的な仕事だと認めたくないから、国も税金未納の性産業従事者をそのまま放置したりする。彼ら彼女らの税金逃れを非難するのは順序が逆で、その前にまずそれらが正当な労働であるということを国や社会が認めねばならないのです。

ましてや現状の日本は、徴税後の方が経済格差が拡大する逆進性の強い税制になっている。税の徴収目的は第一に格差是正にあるのであって、国の財源ならばデフレ解消のためにも国債を発行すれば足りるわけです。消費税廃止どころか、税金自体を徴収することに現状正当性がない。高所得者層の税金を優遇する一方で、一般庶民や、本来違法であるべきでない仕事を違法化して取り締まるために多額の税金を徴収している。にも拘わらず「自分達は税金を払っているのに、あいつらはズルい」などと言うのは奴隷の鎖自慢です。払わなくていいなら誰だって税金を払いたくないはずで、それを払わなくてもまかり通ってしまっている業界があるということは、その業界が社会に確かに存在しながら、その存在を無視されているということでもあります。

さらに付言しておくと、納税の有無を理由として休業補償の対象とすること自体が間違っています。今回のケースでは、疫病の蔓延を防ぐ目的で国が休業を要請する形になっており、その補填のために補償を出さねばならないわけで、その補償が出ないとなったら単にその業種の人間が働くことを余儀なくされるだけです。結果疫病の拡大は阻止されず、困るのは国民全員の方です。ましてや性産業などは国民にとって不可欠な仕事であるのみならず、感染の原因となる濃厚接触の最たるものともいえる仕事で、それに休業補償が出ないとなると、疫病禍の中で時間の浮いた人々が性風俗にこぞって足を運ぶことでクラスター感染の直接原因ともなりかねません。
必要なのは一人一人の国民が、この機会に性を売り物にする仕事を「社会にとって必要な、まっとうな仕事」であると認め、世界最古の職業に対して敬意を払うことではないでしょうか。

殆どの海外の国のポルノにはモザイクなどありませんので、モザイクはポルノ産業の国外輸出の足かせにもなっていたりします。これはこの国が性産業、ひいては性そのものに対して、長年どこか腫物に触るような態度のまま、正面から向き合ってこなかったことの結果だと思います。
本来は性におおらかだったはずの日本社会は、今では非合理的な道徳規制でがんじがらめになってしまっています。日本ではコンビニの非ポルノコミックですらエロいとして排除されましたが、欧州では今もなお当たり前に書店にポルノが並んでいます。オランダでは16歳の女性が合法的に売春業に就き、ドイツは欧州全域に無修正ポルノ番組を地上波放送して、デンマークでは性教育にポルノを使用し、アメリカではポルノ会社が株式上場しています。
海外も非合理的な児童ポルノ規制やレイティング規制が根強いので、必ずしも日本より進んでいるとは言い難いですが、この機会に日本における性の在り方を見つめ直し、売買春、性風俗、性表現、これらに対する非合理的な道徳規制の現状について、いま一度皆様に考えて頂きたい。

先に述べた通り、職業差別をしているのは厚労省の側では(おそらく)ないのです。厚労省はただ単に、性風俗が過去に反社会勢力の資金源となっていたことを危惧しただけ。「公に合法なものだとは認めたくないが、無くなって欲しくもないし、税金も払って国民の義務を全うしろ」というような曖昧かつ不誠実な態度から、そのような実態を生んだ我々の社会の方に職業差別があり、国はあくまでそうした国民の態度を反映しただけであるように思います。
国と反社会勢力との付き合い方も昭和の時代とは随分と変化しました。かつてのようになあなあで済ますことなく、国と社会が反社会勢力の撲滅を目的に健全な社会を目指したからこそ、性産業もまたそうした勢力を縁を切り健全化を目指したわけです。であれば、我々もまた性産業や性表現との向き合い方を変えるべきです。

性産業・性表現が公にされず、腫物のような扱いを受け続ける社会では、困るのはそうした仕事をしている人達だけではないでしょう。性の在り方もまた公には語られず、それは我々一人一人の性に対する偏見を助長し、子供達にとって必要な性の知識を与えられず抑圧する結果にも繋がっている。これは社会全体で考えなければならない問題です。
性産業従事者の脱税だとか、厚労省の休業補償の不支給だのといったのは、そうした社会実態が生んだ結果のごく一部に過ぎない。これで「やっぱり給付されることになった、よかった職業差別が解消された」で終わらせていい問題ではない、と自分は思います。

浦沢先生の「炎上」への反応に見る日本の左派の問題点



具体的な流れは追っていませんが、漫画家の浦沢先生や江口先生が、安倍首相の答弁や容姿を揶揄するようなツイートをしたり絵を描いたりしたところ、これが炎上したみたいです。

これに対して「漫画は元々風刺だというのに無知だ」「ネトウヨが吹き上がってるだけ」「普段は表現の自由とか言ってるのに都合の悪い時は文句言うのか」などの論調が散見されましたが、自分はそうした論調にこそ、現代の日本の左派の病巣が見え隠れしているように感じました。

まず批判してる人は、差別だとか人権侵害だとかを盾に批判してるわけではないので、これは明らかに表現の自由マターではないですね。
例えば過去のフェミニスト達の様々な表現に対する批判なんかは、人権だの差別だのを盾にすることで単なる批判の枠組みを超えた社会性を帯びてしまって、その表現行為そのものの封殺に直結してしまってるから問題視されてきたのであって、単にある表現を批判するだけならば、それもまた表現の自由の範疇と言えるでしょう。「安倍総理の外見を揶揄するような表現をなくせ」なんて誰も言ってないわけですから。
それと、単に風刺だからダメだと言ってる人も自分の観測範囲では見当たらず、どちらかといえば著名な漫画家が「雑な安倍叩き・政権叩き」にコミットしたことに落胆した声が多かったようで、このへんは以前遊戯王の高橋先生が叩かれた時に似ています。問題はこの「雑な」という点にあると自分は思います。

正直、安倍政権に対する批判なんか、幾らでもやろうと思えば出来るわけです。経済政策の失敗、不安定なままの雇用とそれに伴う少子化問題、逆進性の強い税制と大企業優遇による格差拡大、家庭の道徳観にまで踏み込んでくる改憲草案……国民の生活や人権に直結するような問題は山積したままなわけで、ここにきてコロナ騒動でさらにその対応能力が問われているのが現状です。
にも関わらず、ここ10年近く日本の左翼も野党も、モリカケサクラだの、全く政治と関係のない社会問題だの、はては安倍総理の容姿や持病に至るまで、まるでピントのずれたところから雑な安倍叩きを繰り返してきました。少なくとも市井市民にとっては優先度の低いイシューにばかり固執して見えたわけで、だからこそ安倍政権の支持率ってそれほど下がってないわけですよ。安倍政権そのものよりも、安倍政権を批判してる側の姿勢こそが、むしろ信用されてない。
ゴドウィンの法則よろしくヒトラーになぞらえて、安倍は独裁者だ、ファシストだ、いやあれはネトウヨだと言う人達、みなさん沢山見てきましたよね。でもどう見たって安倍さんは単なる富裕層優遇のネオリベ政治家でしょう。それはそれで問題は大アリですが、まるっきり見当外れな批判は相手を利するだけです。今の日本の左派には、そういう「無能な味方」が大勢いるように見えます。
そうやって首相を独裁者になぞらえてきた人達が、いまコロナ騒動の中で「はやく緊急事態宣言を出すべきだ」と、首相が強権を発動することを要請している。まるっきり場当たり的で都合のいい子供の言い分のようです。

今の40代以上の人って、バブリーで豊かな日本社会の中で、雑な政府批判や日本批判、権力叩きをやるだけでも、いっぱしの知識人なり文化人ぶることのできたような時代の人達なわけで、そういう人達はもうそういうムーブが身に染み付いちゃってるんでしょうが、そんな雑な反政府、反日、反戦、反差別、反原発……その劣化コピーの蔓延にもうウンザリしてる層って今はかなりいると思うんです。やるならやるで、ちゃんとした政治をやって欲しい。ちゃんとした論を語って欲しい。生まれた頃から不景気しか知らない世代の人達にとっては、現状を打破するための前向きな解決策、建設的な意見が欲しいわけで、子供の悪口みたいな真似をして政治を気取ってるのが、もうカッコ悪く見えてきてる時代なんだと思うんです。
そういう現実の見えてない左翼の雑な安倍批判が叩かれたら、あれはネトサポだ、ネトウヨの仕業だ、みたいな陰謀論じみた言説にまで傾倒する者が大勢います。これこそが現代左翼の知的怠惰の象徴でしょう。自分達は何かを批判しても自由だが、自分達が批判されることは許されない、ありえないと思っているから、10年くらい前のネトウヨか在特会みたいなことを今になって左派が言ってる。むしろ、そんな左派が叩けば叩くほど、安倍政権、自民党政権は盤石になるだけなんじゃないかと自分は思ってます。

以前トランプ大統領が当選したことの一因として、メディアがトランプ叩きに終始しすぎたことが言われていました。いくら悪口であっても、じゃあ他の候補の良い所、良い政策を紹介しないままだと、視聴者はトランプに関する情報だけを受け取ることになり、結果としてそれはトランプの支持を広めることに繋がってしまった。安倍政権についても似たようなことが言えるんじゃないでしょうか。安倍のやり方がよくない。じゃあ代わりに誰を推すべきなのか?何をすべきなのか?これが誰の口からも語られない。それでは当然結果は変わらないでしょう。シンプルな話です。
今回の件だって、元はと言えばコロナ対応で布マスク2枚の配布を決めたことへの揶揄なわけで、それ自体にも色々な理由が語られているわけですが、左派は布マスクなんて意味ない、アベノマスクだと単純化された批判を繰り返すばかり。間違いを誰かに指摘されても「安倍支持者」「御用学者」のレッテルを貼るだけ。批判者の反論に雑にミソジニーのレッテルを貼って耳を塞ぐフェミニストと全く同じ態度で、これでは「アベガー」「ジミンガー」といわれて馬鹿にされるのも当たり前です。
正直、今の左派は何か理想や思想があって政権批判、安倍批判やってるんじゃなく、単に不満やストレスのはけ口として政権批判をしてるだけに見える。それなら今後も安倍さんに首相やってもらった方がいいんじゃないですか。官邸前でプラカードもって「死ね」とまでシュプレヒコールあげられても文句ひとつ言わない。これ以上ない便利なサンドバッグじゃないですか。むしろ、これだけやってじゃあ今後誰がそのポジションに代わりに就きたいって思うんですか。私生活を暴かれ、容姿を中傷され、家族のプライバシーまで脅かされ、メディアも国民もそれに迎合する。なれば、ますます首相のイスは貧乏クジでしかなくなる。志ある有能な人間が座らなくなる。悪循環です。

そういう雑な左派ムーブに迎合する、その政治センスのなさ、問題意識の浅さに対して批判が起こったのであって、漫画家が政治を語ったからだとか、風刺画を描いたからだと、批判者の言い分を単純化して受け取ってしまう、そうした視野の狭さこそが、日本の今の左派の病巣なんじゃないかと思うんです。
さらに言えば、ここ数十年の日本の左派がやってきたことって、反戦を訴えながら核の傘の下で軍事大国を礼賛し、反差別を訴えながら男性や白人への差別を推進し、環境保護を訴えながら中国に工場を建て、反ヘイトを訴えながら日本に対するヘイトに同調するような、ダブルスタンダードまみれの言論ばかりだったわけで、もうポジショントーカーによる口先ばかりの平等や人権に心底ウンザリしてる人は相当数いますよね。
そんな連中の雑な「反日」言論に説得的な根拠なんてあったためしがない。自説に都合のいい事象だけをチェリーピッキングしては、海外が優れていて日本がダメだみたいな出羽守ムーブを繰り返すのは、もうカビ臭いオジサンオバサンの手法だと思われているのではないでしょうか。だから、雑な日本批判、雑な政府批判に対して、ほとんどアレルギーのような拒否反応が起きる。こんな国になったのはまさに「どうしてこんな国になってしまったのか」なんて言ってる人達のせいですよ。
今、変わるべきはネトウヨでもなければ自民党でも安倍首相でもない、それを叩いてる野党や左派の側なんじゃないですかね。より良い政治のできる代表者を推して、この人を応援しようと思えるような政治家を擁立していく。ノンポリ層にアピールができて、現政権の政策なり姿勢なりの問題点をきちんと捉えて、改善すべき点を明確にする。自分の発言に自分で責任を持つ。そういうことのできる人がいないから、現状がこうなんじゃないですか。
実際、今の安倍首相の積極的な支持層なんて殆どいないと思うんですよ。例えるならNしか出ないクソガチャの中で、かろうじて無料の登録ガチャで最初にもらったR安倍のカードを一応デッキに入れてる。そんな感じの消極的支持層が殆どでしょう。ほかにSR、SSRがいれば、みんなそっちを選ぶんですよ。
自分も漫画家なんで、どうしても漫画とかで例えてしまうんですけど、仮に自分がワンピースのアラを探して回ったり、尾田先生の一挙手一投足にダメ出しをしたり揚げ足を取ったりしたところで、じゃあ自分が代わりにジャンプで人気漫画を連載できるわけじゃないじゃないですか。結局、現状の不満って、自分が変わらないと始まらない。それって何事にも言えることですよね。

何か現状に対して問題や不満があった時に、それをちゃんと伝えることも勿論大事だと思うんですけど、単にそれだけに終始することって、一方的に安全圏から文句だけ言っていればいい立場に甘んじていたいだけにも見える。文句だけ言い続けるのってすごいラクで、特にこういう疫病で社会全体の不満や不安の募る中でそういう態度に走ってしまうことは、人間だからそういうこともあるでしょう。けど一方で、こんな時に文句だけ言ってても変わらないこともある。みんながやれる事やるしかないし、それは個人も法人も、国家も同じでしょう。ダルビッシュ選手も指摘してるように、居酒屋談義にしか見えないんですよ。今の左派言論って。
まして万全な対応なんか出来てる国なんかどこにもない。当初DP号が日本に泊まってる頃には、まるでアジアの風土病のような考えで、現地の邦人にもコロナだなんだと差別したりして甘く見てた欧米が、今やあの惨状なわけです。WHOだって甘く見てた。後々になってみないと分からないことも沢山ある。それなのに、日本よりはるかに多くの死者の出ている海外の国の対応を持ち上げて、日本政府の対応をこき下ろしているような人々が沢山いる。まるでナンセンスです。
こんな状況下で、いまだに雑な政権叩きの延長線上やってられることの方がむしろ暢気にも見えますが、国の対応が正しいのか間違ってるのかなんて、医学や疫病の専門家でもない我々には分からない中で、安易な政府批判に走るのも、安易に政府を礼賛するのと同じくらい愚かな態度だと思うんです。根拠があってというよりは、批判のための批判をしてるように見える。でも今ってそういう状況なんでしょうか。そういう暢気さ、悪い意味でのブレなさが、いま生活不安を抱えている人々の琴線に触れたのではないでしょうか。

もちろん上記の話も一つの考え方でしかないし、浦沢先生や江口先生にも勿論しっかりした考え方があってツイートなり表現なりされたのでしょうし、それ自体はなんら問題のあるところではありません。それに対して批判が起こる、これもまるっきり健全なことです。
問題は、批判者の言い分を矮小化し、歪めて捉えてしまう日本の左派のセンスのなさ、問題意識の浅さでしょう。相手を「無知で無理解な愚か者」という、自分にとって都合のいいイメージに当てはめて見下すことでさも論難した気になる、それ自体は誰でもやってしまいがちなことではありますが、それは自分にとっても何の問題解決にもならないし、むしろ本来向き合うべき問題から自身を遠ざける結果にも繋がります。にも拘わらずこういうことばかりを何十年も繰り返してきたのが日本の左翼であり、そのような衒学趣味やスノビズムが蔓延した左派勢力と社会の多数派の意識との乖離がどんどん進んでいって今の現状があるのではないかなあ、と思った次第です。

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FF15は売れたのか

FF大投票、楽しかった。

自分イチオシのFFUSAやFF12RWなどがカスリもしなかったことや、セルフィやユフィのランキングが思ったより低かったことを除けば、概ね納得のランキングだったようにも思う。FF15のノクティスを演じた鈴木達央氏も出演して嬉しい限りだ。

さて今回10位につけたFF15だが、そういえば以前、自分はFF15に関するツイートで炎上したことがある。
色々とゲーム内容に関する不満点はあったものの、自分としては概ね楽しめたFF15が、当時国内のゲームメディアにはボロクソに叩かれていたので、ハードの累計売上とソフトの累計売上との比較表を作って「PS4の現状の売上からするとFF15はそこそこ売れてる」と主張したところ、「そもそもソフトが発売した時の初週売上と、その時点でのハードの売上を比較しないと意味がない」と主張する一派が現れて、何故か叩かれた。
自分としては「ハードの販売曲線(ロングテール型)とソフトの販売曲線(初動が大きく影響)は違うのだから、それだとハードが出てすぐに発売したゲームが有利になっちゃうだろ」と思ったのだが、ともあれネットの炎上というのはとかく問題の本質をうやむやにしがちなもので、その時は自分も忙しかったため、話としてはそこでお流れになった。
来年にはPS5も出ようという中、PS4のハードとしての売上も、FF15のソフトとしての売上ももう落ち着いてきた今になって、改めてこの問題について振り返ってみようと思う。
「FF15は、はたして売れたのだろうか?」

世間的には、FF15は失敗作として片付けられているように思う。最近じゃYouTubeにこんな動画まであがっていた。https://www.youtube.com/watch?v=HenX8_hyFeo
今日見かけた中では「FFは人気ゲームではなく"昔の人気ゲーム"である」というツイートもあった。https://twitter.com/Masaki_FYI/status/1233906858735230977
しかし、改めて実際のデータを色々と見ていく中で、自分としてはちょっとこうした意見には俄かに賛同しがたい部分があるように思われたので、そのへんを以下に説明していきたい。


まず歴代作品の国内累計売上からまとめてみよう。

ff01
数字参考)Wikipedia

この数字だけを見ると、たしかに近年のFFは売上が落ちてきている。FF7をピークとして、FF10あたりを境に徐々に売上が落ち、とりわけFF13を境にガクッと落ちたように見える。これは累計だが、初週売上でも同じだろう(古いソフトは初週売上まで調べられなかった)。こうした数字をベースとして考えれば、たしかに先程のような動画の内容も一定の説得力があるように思える。
しかし、これはソフトの売上だけを比較した場合だ。
先程も言ったように、ハードが売れなければソフトも当然売れない。PSなどの時代に比べて、家庭用のゲームハード自体が売れなくなってきてるのは明らかで、ハードを考慮せずにソフトだけで比較するのはフェアではない。そこで、ハードの国内累計売上と比較してみることにする。

ff02


下が各シリーズが発売されたハードの累計売上で、真ん中には国内での各ハードの売上に対するFFナンバリングの売上をパーセンテージにしておいた。
FF7当時は21%、つまりPS購入者の5人に1人はFF7を持っていた計算になるが、その後徐々に落ち込んでいき、FF12の頃には5以降で最悪の11%にまで下がっている。FF15もこれと同水準の12%ではあるが、ソフトの本数自体はFF12にダブルスコアをつけられているわけで、FF15の国内売上本数がかなり少なめに見えるのは、やはりハード自体の売上の影響が大きいように見える。


ff03
さらにここでハードごとの国内ソフト売上ランキングを見てみる。
SFCまでは1本もランクインしていなかったFFが、PSになると一気にランキングを寡占するようになる。FF13に至っては、他のソフトにダブルスコアをつけて堂々の1位だ。PS2ユーザの10人に1人くらいしか持ってないFF12が3位につけている一方で、FF6などは国内で15%、7人に1人くらいは持っていたはずなのだが、全くランクインしていない。「FFの売上は10以降落ちていき、13でガクッと落ちた」ように見えた当初の印象は、ここにきて全く的外れだったとわかるだろう。
「任天堂のハードは、任天堂のソフトしか売れない」と言われるジンクスがある中で、ファミコンの客層と作品イメージがマッチしていたせいだろうか、むしろDQの売れ行きが異様に感じられる。FFが早々に任天堂と手を切りPSでのリリースに踏み切ったのと、DQ7がなかなかリリースされなかったことの理由もわかる。DQはFFと違って、任天堂ハードの中でもかなりの売上が出せていた稀有なソフトだったのだ。
その後、PS3以降の開発費高騰のため、徐々にソフトコンテンツが減っていったこともあいまって、ゆるやかにソフトの売上も、ハードの売上自体も落ちていく。PS1で3290タイトル、PS2では2925タイトルあったソフトが、PS3だと976本、PS4だと784本まで減っている(配信専用タイトルは除く)。FCが1053タイトル、SFCが1448タイトルであることを考えると、むしろいかにPS1、2時代のゲームが多かったかということがわかる。

さて問題のFF15だが、確かにここで1位が取れなかったことを見ると、FF13に比べれば商業的に失敗したようにも見える。だが、そもそも史上最も売れたFF7ですら、国内ではDQ7の売上に負けているわけで、今回DQシリーズの総決算のような内容だったDQ11に再び後塵を拝するとしても不思議ではない。1位のMHWも史上まれにみるヒットだったことを考えると、いささか相手が悪いようにも思えるが、FF15がたとえばFF8やFF10、FF13のような、ハードの売上を牽引するタイトルになれなかったと言われても仕方がない……ように、この時点では感じられた。

しかし、ここで「世界累計売上」のデータを参照することで、まさに見えてくる世界がガラリと変わってくる。


ff04

FFは当初、海外版は1、4(SNESでは2)、6(SNESでは3)と飛び飛びで発売されていたので、6までの数字はあまり参考にならない上に、FF自体がそこまで世界的な宣伝を打って売られていなかったので、ここでは割愛させていただく。

FF15の世界売上890万本という数字に注目してほしい。
なんとFF15は、既に世界的にはFF史上歴代2位の記録を築いており、860万本売れたFF8よりも売れていたのである。しかもプラットフォームのPS4は第8世代ハードとはいえまだ現行機なので、この先まだまだ売り上げを伸ばす可能性も十分にある中でこの数字だ。一方で、PS3の国内売上ランキング1位、2位を独占していたFF13シリーズなども、この表だと決してFFシリーズの中で特別ヒットしたわけではないように見える。
驚くべきことに、国内だと売れたFFといえば7>8>10>9>12>13>15……の順となるが、
世界的に売れたFFとなると、7>15>8>10>13>12>9……の順になるのだ。

国内のソフト売上を、世界でのソフト売上で割った数字を見ると、さらにはっきりとこの傾向が顕著になる。FF7の頃には4割近く、FF9に至っては売上の5割が国内市場だったものが、13あたりから急速に比率が変化していき、15に至ってはなんと国内売上は世界全体の1割強にしか届かない。むしろ、国内市場でウケた9や12などは、それゆえに売上に伸び悩んだようにすら見えてくる。

さらに各ハードの世界累計を見ることで、我々には一つの残酷な現実が突きつけられる。

ff05
そう。FFが売れなくなったわけでも、ハードが売れなくなったのでもない。
単にゲーム業界全体における日本市場のシェアが、極端に小さくなったのだ。

SFC時代には35%を誇っていた国内シェアが、PS4になると8%にまで落ち込んでいる。これは海外市場に強いと言われたメガドライブの12%よりもさらに小さな数字だ。「売れてない」ように感じていたPS4は、実は世界的にはPS初代より売れているのだ。単にそのユーザーの実に92%が海外勢であるために、国内からはその実態が見えづらいだけである。
参考までにSwitchの数字も載せておいたが、国内だとPS4を抑えてバカ売れしているように見えるが、世界的に見ると実は(Liteなどの派生を除くと)まだSFCの売上にも届いていない。それどころか、歴代PSで一番商業的にふるわなかったPS3よりも、さらに半分程度しか売れていないのだ。一方で、国内ではほぼ売れなかった(なんと僅か11万台!プレイディアか?)Xbox oneだって、世界では4590万台売れていて、実はSwitchと同等レベルの売上を記録している。PS4などと比べると、もうダブルスコアで完敗だ。比較的国内市場に強いSwitchに対して、ほぼ海外市場メインのPS4。そりゃ性表現にも厳しくなろうというものである。
当然そんなハードをプラットフォームにしているFFは、徐々に国内市場から離れていく。具体的にどのような戦略を取っているのか詳細は不明だが、こうして数字を見ると明らかである。もちろん海外市場に向けて売ることが必ずしも正しいわけではないが、やはりこれだけの数字を見せられると、国内向けに堅実な売り方をしていけばいい、という考え方もどこか説得力を失ってしまう。
このあたりの話は、PS3くらいの頃から再三にわたって言われてきたことだし、わかってる人にはとっくにわかりきった話かもしれない。しかしながら、だからこそ全プレイヤーの1割程度のシェアしか持たない国内市場だけを見て「FF15は失敗作!」などと言うことの無意味さを改めて痛感する。
むしろ我々のほうが、実はFFから、そして世界のゲーム市場から取り残されてしまったのではないか。

売れたから良いゲームだ、というわけでは勿論ない。FF15にも改善すべき点、不満点は沢山ある。そもそもPS3の国内市場で最も売れたというFF13だって、自分はRPG史上最悪のゲームだと思っている。しかし、少なくとも商業ベースで考えるなら、これははっきりと言わねばならない。

FF15は、失敗なんかしてない。
とうにFF8やFF10を追い抜き、ゆくゆくはFF7にも届くようなレベルの商業的な成功をおさめている。
ただ日本国内からは、それが見えないだけなのだ。



最後に、今回作成した一覧表を載せておく。
ff06


参考)
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