2012年12月14日

世界最強の鎌倉武士 ―幻想の「元寇」日本武士苦戦説―②

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鎌倉幻想紀行 第十四回

>>2度目もびびりまくり!<<

第一回目の文永の役から7年後、第二回目の侵略弘安の役(1281年)では先鋒として高麗(朝鮮)兵を中心とした合計4万の東路(朝鮮)軍と、後発の江南(中国)軍10万、合わせて14万の元軍が押し寄せます。
でも今回違っていたのは、鎌倉幕府が元の首都に使者を立てて直接状況を探り、倭寇といわれた松浦水軍や僧侶や商人、江南(中国)からの亡命者の情報や高麗(朝鮮)内のスパイまで使って、情報戦を徹底させた。
だから弘安の役の1年ほど前には元軍が朝鮮の金州に軍を集結させている事実や、敵の規模やどういう編成でいつ頃再侵略に出るかも知っていて、ちゃんと備えていたこと。

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「元寇防塁」とその上に陣取る御家人たちが描かれ、前を竹崎季長一行が移動していきますが、真ん中の赤い扇を仰ぐ人物が菊池武房。

しかも鎌倉幕府軍は延々と20㎞に渡る石の防塁を博多湾全域に築いていて、強引に上陸すれば前回以上の損害を受けるのが明らかな態勢を取って待ち構えていました。

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日本側の武士団の兵力は4万で、それらの放つ矢の中に突っ込めば「立ち所に殲滅されていたであろう」とはイガちんの談。

結局、上陸を諦めた元軍(東路軍)はとりあえず6月6日陸繋島の志賀島を占領して船の停泊地にしましたが、彼等が上陸した反対側に海ノ中道という地続きの場所があったため、ここと海上の二手から日本武士団は夜通し局地戦(ゲリラ攻撃)を仕掛けました。
元軍も必死に応戦し、300人ほどの日本武士を倒したと言われますが焼け石に水、ついにその攻勢に堪えきれず敗走します。

海上から元軍を攻撃した伊予の御家人・河野通有は蒙古兵の石弓によって負傷しながらも敵船上に斬り込み、敵将を生け捕るという手柄を立てました。

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「志賀島の戦い」で、東路軍目指して進軍する関東御使の合田遠俊と筑後の草野経永・筑前の秋月種宗、肥後の大矢野種保・種村らの船団。

また、この海上からの攻撃には肥後の御家人・竹崎季長や肥前御家人の福田兼重・福田兼光親子らも参加し投鉤や打鉤を投げかけて敵船上に乗り込むと白兵戦で散々に元軍(東路の朝鮮兵ですが)を斬り倒し、活躍しました。

6月9日、東路軍の張成らは防御に徹して陣を固め、攻め寄せる日本軍に抵抗しますが、結局は日本武士団が勝利して元軍は敗戦を重ね、3000人もの戦死者を出し、大敗。
ついに彼らは志賀島を放棄せざるを得なくなり、壱岐島まで後退して援軍の到着を待つことになりました。

ところが援軍の江南軍は東路軍の待つ壱岐ではなく、「平戸島の方が戦略上有利だから」とそちらに向かい、壱岐には平戸島沖で合流しよう、という伝令のみを送ります。
そうこうしている間に6月29日から日本軍は壱岐島の東路軍に対しても数万の軍勢で攻撃を開始し、執拗な攻勢に苦戦をかさね、江南軍が平戸島にむかったという報もあり、東路元軍は壱岐島を放棄して平戸島へ移動しました。

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鎮西奉行・少弐経資、薩摩守護・島津久経らの軍船。

7月中旬ごろ合流した江南・東路の元軍(中国・朝鮮軍だけど)は、しばらく平戸島周辺に停泊した後鷹島(長崎県北部)に主力を移動させます。
これは太宰府を攻撃するという新たな攻撃計画のためと言われていますが、本当にそれ程の士気が残っていたのかかなり疑問です。
7月27日、鷹島沖に移動した元軍に対しても日本武士団が攻撃を仕掛け、日中から夜明けにかけての長い戦闘が続きましたが、その後元軍の行動はこの鷹島で一切停止してしまいます。

一方の日本側は六波羅探題から派遣された引付衆・宇都宮貞綱率いるおよそ6万余騎の大軍が北九州の戦場目指して進軍中でしたが、彼ら援軍にとって、これは無駄足になりました。
7月30日夜半に台風が襲い、5日間に渡って海上が荒れたために、元軍の船は大半が沈没・破損するなどの壊滅的な大損害を被ります。
博多湾での戦端が開かれて以来2ヶ月後の事でした。

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>>『これからが本当の地獄だ!』<<

閏7月5日、日本武士軍は伊万里湾海上の元軍に対して総攻撃を開始しました。
午後6時頃、御厨(みくりや)海上において肥後の御家人・竹崎季長らが元軍の船に攻撃を仕掛け、筑後の地頭・香西度景らは敵軍船三艘の内、大船一艘を追い掛け乗り移って元兵の首を挙げますが、香西度景の舎弟・香西広度は、格闘の末に敵兵諸共海に落下、沈んで行方不明になってしまいます。

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弘安4年閏7月5日の「御厨海上合戦」撤退する蒙古軍船を追撃。

また、肥前の御家人で黒尾社大宮司・藤原資門も御厨の千崎において元軍の軍船に乗り移って、負傷しながらも元兵一人を生け捕り、元兵一人の首を取るなどして奮戦。

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上の場面の一部分、竹崎季長が蒙古の軍船に乗り込み、敵兵の首を取る。

日本軍は、この厨子(みくりや)海上合戦で元軍の軍船を伊万里湾からほぼ一掃しました。

この時、敗軍の元兵内から最低・最悪の悲劇が起こります。
江南軍総司令官の右丞・范文虎を始めとする都元帥・張禧ら諸将が、台風で無事だった頑丈そうな船から兵達を無理矢理降ろし、兵卒10万余を見棄てて自分たちだけで逃亡してしまったのです。

鷹島の西の浦より、(台風で)破れ残った船に賊徒が数多混み乗っているのを払い除けて、然るべき者(諸将)どもと思われる者を乗せて、早や逃げ帰った

【蒙古襲来絵詞】・閏7月5日肥前国御家人某

厨子海上合戦で元の軍船をほぼ殲滅した日本軍。
次は鷹島に籠る元軍10万余及び、鷹島海上に残る元軍の軍船を掃討する番です。
閏7月7日、日本武士軍は鷹島への総攻撃を開始して鷹島上、その周辺海上でも戦闘があり、肥前の御家人・福田兼重らが元軍の軍船を焼き払いました。

これら日本武士軍による鷹島総攻撃により10万余の元軍は壊滅し、日本軍は2~3万の元軍兵士を捕虜としました。
現在においても鷹島には、首除(くびのき)、首崎、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷、遠矢の原、前生死岩、後生死岩、供養の元、伊野利(祈り)の浜などの地名が代々伝わり、当時の〈鷹島掃討戦〉における元軍の悲惨な末路を物語るものとして残っていますねぇ…。

戦闘はこの鷹島掃蕩戦をもって終了し、弘安の役は日本軍の大勝利で幕を閉じたのでした。

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2010年03月30日13:33 カテゴリ元寇 ~【元寇】 世界最強鎌倉武士団 ~
20 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2007/11/07(水) 01:24:43 ID:mVrRNnx60
日本に来たのはモンゴル帝国内で最強の大元ウルスのモンゴル軍。 大元ウルスに対しては、他のモンゴル内の有力者も度々反乱を起こしているが、クビライは連戦連勝。 ナヤン・カダアンの乱で、カダアンとその息子ラオディ率いるモンゴル反乱軍は、朝鮮半島で大元ウルス・高麗連合軍によって壊滅させられた。 モンゴル最強の大元ウルス軍をフルボッコにした鎌倉武士団は世界最強!!

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最後に、日本鎌倉武士団の武器が、元軍と比べ、如何に優れていたかについて触れますね。

流鏑馬を見るまでもなく、鎌倉武士は日頃から鍛錬を怠らぬ馬上弓の名手揃い。
鎌倉武士の大鎧は、弓射に特化した形状で、両肩の大袖(おおそで)は、弓を射撃する時にちょうど前に来るようになっており、自らを守る盾の役割を果たしました。

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鎌倉武士の鎧に付いている両肩の大袖(おおそで)は、敵の矢から体を守るための備え。

元軍の矢は短弓で威力がなく、軽いために、日本の鎧に対しては貫通せず致命傷にはならないので、平然と白兵戦を挑むため突進し、接近戦になれば鋼の硬さとカミソリの切れ味を持つ日本刀で革の鎧を簡単に切り裂いてしまう。

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モンゴル型皮鎧の重量は驚くなかれ7kgに過ぎないとのことですが、これでは日本刀に対し裸同然では!?


功名を得んがため、恩賞の証しとしての首を求め、どこまで逃げても執拗に追いすがる餓狼の群のような日本武士軍は、その行動原理を理解できたとしても、元軍兵士には恐怖の対象だったことでしょう。
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日本の鎌倉武士たちが使用した和弓は、イングランドのロングボウ(長弓)と同様の高性能な複合弓(コンポジットボウ)ロングボウとの違いは、馬上から射られるように弓の真ん中より下を持って射る方式になっていた事ことで、和弓は弓を引くとき弓と弦が作る三角がちょうど黄金比になる仕組み。〈最大射程400m、有効射程は200m〉

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この様にアウトレンジで戦え、ショートレンジでも強いという当時の鎌倉武士たちは、世界的に見ても完璧な騎兵、〈パーフェクト・ソルジャー〉だった、と言えるのではないでしょうか。






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蒙古兵を踏みつける日本軍武士の博多人形。


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